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おうち神社化計画120

その時は必要だと思ったから買ってきた物たち。いつのまにか全く必要なくなっている。必要ないと思ったその時にパッと捨てればいいのに、

「いざという時使える」とか
「これ高かった。いい思い出だ。何も捨てることはない」

とかの執着が出てどこかに仕舞い込んでしまいます。引っ越してきた最初ならまだしも、長く住むと机の引き出しはもう「満」。クローゼットも「満」。となるとプラスチックの収納ケースを買ってきてタンスの上の隙間を有効活用し始めます。そしてすみっこを3Dで全部使い果たすと、いよいよ部屋の隅っこの生活に支障のないところの床にプラケースが積み上げられていきます。

床のプラケースが限界まで積み上げられたら、もう流石にプラケースを買ってきて整理しようと言う気がなくなります。

でもお店に行って新しいものが欲しくなる衝動は止められません。もうお店に行きたいだけ。何か買ってきたいだけ。いっときの幸福感を味わいたいだけになっています。物だらけのおうちにいると幸福感が削がれて、正のエネルギーが消耗してしまうので、外で購買意欲を満たして枯渇したエネルギーを少しでも補充しようとする涙ぐましい努力をしてしまうのです。そして家に持って帰ってきたらもう終わり。欲しかっただけ。買いたかっただけ。使って楽しみたいわけではない。ついに片付けると言う意欲を失ってゴミ屋敷一直線です。

こうしてお部屋を舞台にした負のスパイラルが始まり、これに巻き込まれた人は、きっちりゴミ屋敷の住民となる。私はここで何度も書いているように仕事柄他人様のおうちに上がり込むことが多いのです。ご年配のお宅でここに気づかず不要物でぎゅうぎゅう詰めのおうちに住まわれる方が如何に多いか。

大切な南向きの窓さえ新しくタンスを置いて日光を遮り真っ暗です。部屋はカビの匂いで充満しています。息もできないほどです。そんな風に人生で何が大切か、わからなくなるのです。そしてある日突然そのお家から退去する日がきます。ある日行った病院からおうちに帰ってくることがなかったのです。物を捨てて光と風を受けていれば得られた無上の幸せを自らの執着で手放した結果です。
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自分を少し鼓舞するため書いてみました。だって商業主義の罠にはまった今の年配の方々がほぼトラップされて抜けられないこの未来って嫌じゃない? コメント欄へ続く
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