人気

カマ爺@🖖🕸️🦋
生きる
監督 黒澤明
出演者志村喬小田切みき藤原釜足
黒澤作品の中でもそのヒューマニズムが頂点に達したと評価される作品で、題名通り「生きる」という普遍的なテーマを描くとともに、お役所仕事に代表される官僚主義を批判した。劇中で志村演じる主人公が『ゴンドラの唄』を口ずさみながらブランコをこぐシーンが有名である。国内ではヒットし、第26回キネマ旬報ベスト・テンで1位に選ばれた。海外でも黒澤の代表作の一つとして高く評価されており、第4回ベルリン国際映画祭でベルリン市政府特別賞[注釈 1]を受賞した
ある日、渡辺は体調不良のため休暇を取り、医師の診察を受ける。医師からは軽い胃潰瘍だと告げられるが、実際には胃癌にかかっていると悟り、余命いくばくもないと考える。
その翌日、渡辺は市役所を辞めるつもりの部下の小田切とよと偶然に行き合う。市役所を無断欠勤し、とよと何度か食事をともにするようになる。渡辺は若い彼女の奔放な生き方、その生命力に惹かれる。とよは玩具会社の工場内作業員に転職した。自分が胃癌であることを伝えると、とよは自分が工場で作っている玩具を見せて「あなたも何か作ってみたら」と勧めた。その言葉に心を動かされた渡辺は「まだ出来ることがある」と気づき、次の日市役所に復帰する。
それから5か月が経ち、渡辺は死んだ。渡辺の通夜の席で、同僚たちが、役所に復帰したあとの渡辺の様子を語り始める。渡辺は復帰後、頭の固い役所の幹部らを相手に粘り強く働きかけ、ヤクザ者からの脅迫にも屈せず、ついに住民の要望だった公園を完成させ、雪の降る夜、完成した公園のブランコに揺られて息を引き取った。市の助役ら幹部が渡辺の功績を低く貶める話をしている中、新公園の周辺に住む住民が焼香に訪れ、渡辺の遺影に泣いて感謝した。いたたまれなくなった幹部たちが退出すると、同僚たちは実は常日頃から感じていた「お役所仕事」への疑問を吐き出し、口々に渡辺の功績を讃え、これまでの自分たちが行なってきたやり方の批判を始めた。
通夜の翌日。市役所では、通夜の席で渡辺を讃えていた同僚たちが新しい課長の下、相変わらずの「お役所仕事」を続けている。
この作品を黒澤明監督の最高傑作と評する人が多くいるのは、頷ける。アクション映画の多い黒澤明監督の作品の中で人間の内面を描いた代表作である。

ゴンドラの唄

ささめ
シネコヤは江ノ島近くの鵠沼海岸にある古い写真館のリノベーションシネマで、待ち時間にこだわりの本、パン、アルコールがレトロな雰囲気の中、嗜める最高の場所でした。
本の品揃えがすごくよくて、文学、映画、音楽、サブカル、エッセイの類が今の本屋になさそうなものがぎっしり。イオンに出店する前にあったヴィレッジヴァンガードのようなアングラ感。
キネマ旬報が1970-2005まで欠番なしあるのはマニア垂涎です。
ビロードの椅子にランプにタイルの床。
昭和の雰囲気の中で映画の時間を待つのもまた幸せな時間。
他の映画館はネットで席の場所も予約してギリギリについてもいいけど、ここは到着順に整理券をもらって席を選べるようになってるので、早めにきて本を読みながらお酒を飲みながらゆっくり待つのがオススメです。
映画ルックバック自体もビロードのソファにゆったりもくつろぎながら観ました。
いい映画をいい映画館でみられて、大満足な休みの日でした。






カエル
約4年ぶりに映画館に足を運んで、映画を観た。観客が50人もいれば、満席になってしまうようなこぢんまりとした小さな映画館。スクリーンがひとつしかない入れ替え制なので、会場の外には次に会場に入るお客さんのために、ベンチが用意してあったり、キネマ旬報がぎっしりと詰まった本棚があったりと、とても雰囲気のある映画館だった。
この日は公開初日だったからなのか(そもそも一週間しか上映期間がない)、ほぼ満員状態だったのだけど、不思議と窮屈さを感じず、むしろ私が興味を持った映画をこんなにたくさんの人たちと一緒に観られるという点が、妙な一体感と親しみを感じさせて楽しかった。


緑亀別珍コート
てへ

ジュヌビエーブ

回答数 22549>>
天知茂の明智の美女シリーズが好きで、探偵事務所のアシスタントになりたかった!
配役で言うと五十嵐めぐみさんの文代さん。それで職業別電話帳で探偵事務所を片っ端から調べたんですが、そこに広告が載ってたんですね。それを見てみるとほとんど浮気調査とか人探しだったので愕然としました。本当に警察と協力して事件を解決する職業だと思っていたので。
次は映画評論家、こちらは民放2曲しかテレビ局がなくて、淀川さんの洋画劇場は放送されてなかったんですね。なので、荻昌弘さんとか水野晴夫さんに憧れました。でもよくよく考えると世の中に2人しか有名な人がいらっしゃらなくて、これは狭き門と思って諦めました。当時、キネマ旬報などは読んでなかったのですが、そういうところに原稿を寄せている人がいて、そういう人たちも映画評論家と呼ぶのだとは知ってましたが、父に聞くと評論家?何をくだらないと…父は評論家と言う人たちが大嫌いだったんですね。中学の先生にも映画評論家になりたいと言うと、呆れられたような笑を受けられたのを覚えています。


れもんてぃ

パラソリッド

回答数 12451>>
10数年分溜めていたキネマ旬報を、結婚を期に処分。それと同時期に、ずっと続いていた映画館で映画を見る事がぐんと減った。
意外と平気だった事に自分で驚いた

Rinya
めでたい、嬉しい、おめでとうございます、、🎉
もっとみる 
関連検索ワード
おすすめのクリエーター