北陸某県にある母方の祖父の実家は現在自家分だけの極小規模だが稲作を続けている。この家、歴史上有名な人物の系譜だという。教科書に載っている名字を仮にCTとすると一文字少ないCと名乗っている。これは、かつてCT家はある権力闘争に負けた側だったので、一文字外して生き延びた、と伝えられている。CT家系は全国各地に残っているので、真偽の程は不明だが、江戸時代から名字帯刀を許され、土地持ち農家だったのは間違いない。戦前の卒業証書等には「士族」という記載があったそうだ。明治以降も身分制度の名残りはあった。そんな家の兄弟姉妹の五男として明治の終わりに生まれた祖父は、村始まって以来初の、県内でも数少ない東京帝国大学生になった。そして卒業後は当時の日本の傀儡国家にある某会社の技師になった。この頃祖父の実家では祖父の父(私の曾祖父)が投資に失敗して先祖伝来の田畑の多くを失ってしまうという悲劇が起きた。そのため祖父は実家に仕送りをして、その金で曾祖父は失った土地を買い戻した。祖父名義の土地も買ってあったそうだ。それだけ仕送りをしていても、余裕で豪奢な暮らしができたのだから、相当な稼ぎがあったのだろう。母が生まれた昭和15年には使用人が何人もいる豪邸に住んでいたらしい。母は都内にある現在の家も、その当時の豪邸の半分もない、と言って周囲から顰蹙を買っている。祖父が亡くなってからもう半世紀以上経っている。今では祖父の兄弟姉妹たちも鬼籍に入り、母の従兄弟姉妹たちも高齢化し、私の又従兄弟姉妹たちもそろそろ隠居で、私の再従甥姪たちの代になっているので、正直母も名前も顔も知らない人ばかりになっている。のに、今年も、母と妹が暮らす都内(23区内)の実家に、30kgの米(玄米)が届けられた。いかに親戚のつながりを大切にしてくださっているか。ただただありがたいことである。届いたのは今年の3月だったが、母の入院騒動ですっかり忘れていた。のを、8月の半ばを過ぎてようやく貰ってきた。30kg中、5kg位を母と妹のために残す。二人はこれで一ヶ月以上持つという。車があれば楽なのだが、息子と二人で分けてリュックに詰め背負って帰る。戦中、戦後の闇米の買い出しもかくや…だが、当時は都内から都下や近隣県への行って買い出しまたは物々交換だったのだが、逆だ。令和の米不足、今は亡き祖父の実家からの米に助けられている。