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ウナギノボリ
お昼はガッツリ!


ウナギノボリ
今日はホットサンド!
本場パリでも食べたけれど、個人的にはこのホットサンドがいちばん好き。


ウナギノボリ
今日も遅めランチ。
最近はしっかりランチタイムが取れるのがありがたい^_^


ウナギノボリ
今日もカレー。チキンほうれん草。
さて、あとひとふんばり。


ウナギノボリ
林SPFポークのとんかつ、美味でした。


ウナギノボリ
久しぶりに普通の気温なので外食ランチ。
ここが今日のメインになりそうだったから、中華andカレーに。


ウナギノボリ
スーパーのレトルトカレーにもなった有名店。
バターチキンと豆のダブルで、満足^_^


ウナギノボリ
チキンカツ麻婆豆腐カレー!
好きなものがコラボ^_^


双子のトルシエ
昨日は気になる展示に行ってきました。
そのあとぷらぷらして撮ってきました。
#キリトリセカイ
#ファインダー越しの私の世界
#大人のお散歩
#写真好きな人と繋がりたい
#神保町





ウナギノボリ
今日も遅いランチ。ニンニクチップもバリバリ!
今夜はスポーツクラブによるつもりだけど、有酸素運動はまわりに迷惑をかけそうなので筋トレに集中。


ウナギノボリ
前から気になってた、神保町ブックセンターのカフェ。ホロホロ和牛カレーは、オーソドックスなタイプ。
長居したくなる雰囲気だけど、まだまだ仕事。



ウナギノボリ
遅いランチは久しぶりのとんかつ。
また、夜はあまり食べられないパターン^_^


ウナギノボリ
かなり遅めの昼ごはんは、「ばんび」で2種類のカレーセット。初めてのお店だったけど、お肉も大きくて、美味。


ウナギノボリ
遅めのランチ!
神田カレーグランプリ第一回優勝店。お昼時はいつも行列なのですんなり入れたのはいいのだけど、ここのカレーは腹もちが良すぎるので、夜どうするか悩むはめになる。


ウナギノボリ
暑いとお蕎麦にしがち。

新着

碧 🐾
パラゴンのグッズ販売の整理番号が
午前中だったので
グッズ買ったら 暇過ぎて そのまま
神保町で 古書巡り。
いや〜 懐かしい物が沢山あって
本当に楽しかった!
危うく 色々と買いそうになった💦







Book of Days

だだだだ💙💛
肉玉きしめん
天かすに煮込んだ豚バラ肉がデーンwith生玉子
食欲唆る一杯🥢
#おはようございます #信州信濃のそばよりもわたしゃあんたのそばがいい #小川町 #神保町 #豊はる


マサヤス龍之介
#神保町
☆『我が青春の神保町 .15』
神保町に行ったら、ここで食べて欲しい老舗のカレー屋まんてん。旧TONYレコード(現.てもみん)の1本水道橋寄りの路地を入る所に2枚目の看板があるので解り易い。白山通りから路地を進むと左手に見えたる古びた店舗がまんてんだ。嘗ては奥の引戸を開けるとそこはカツ丼屋で手前の観音扉がカレー屋であったが、かなり前に創業者の代で奥のカツ丼屋は辞めて、現在では手前のカレー屋だけが残っている。先代は創業者だったがその先代もいよいよ廃業と決まった頃に付近の日大生が常連で、何とかこの店のカレーを残したいと一念発起して店を継いだと云う美談が残っている。有難いことに引き継いでからも殆ど値段は変わらず店前のサンプルの通りだ。ここはひき肉たっぷりのキーマカレーが特徴だがルーは小麦粉を効かせた思い切り和風カレーだ。ご飯の量も並大盛ジャンボと三段階でジャンボでも御覧の値段。TONYレコードで昼を跨いでエサ漁りをして気づいたら2時を回っていた💦なんてことは屡々なる話で、腹がゲロ空き、そんな時にジャンボカレーは誠に丁度良かった。元は隣のカツ丼屋で揚げたカツを提供していたカツカレーは一番人気だが、私は基本プレーン派なので、トッピングには目も来れない。
いらっしゃいと、カウンターに座ると同時に出てくるコップ水にスプーン🥄を漬けるのはニッポンのカレー屋の流儀だが、この店の特徴は同時に出されるカプチーノサイズのブラック☕️である。
私には要らんサービスだが中にはこの☕️をカレーに掛ける強者がいた💦(目撃した事🐜桝)。50を超えて飯田橋の東京支社へ配属された時も若い衆を引連れて片道10分以上はあるこの店へ昼飯に来たこともあった‼️近年はすっかり行列店となってしまったので団体で行くと空いたカウンターから準々に座らされてしまうの皆で一緒には、座り辛いとは思う。昔は行列になることは稀だったのに。
私にはこの店は若かりし日からずっと変わらぬ神保町のソウルフードがまんてんである。、





カレーの歌

マサヤス龍之介
#神保町
☆『我が青春神保町 .14』
トニイレコードでの思い出は尽きない。
通い詰めた或る日、西島さん…というより1Fで働く若手の店員さんに…と思い、その時そこにいた西島さんほか従業員分のコーヒーを買った事があった。そう云うもてなしは割とクセになり、暫く続けていたら二階の売場の奥スペースにちょっとした寛ぎスペースが出来ていた事があった。
しかし、その次に行った時にはすっかり元通りに戻っていた。西島さん曰く、保健所から叱られましてね…。と云って舌を出すトニイさんであった。それにしても早過ぎはしないか?大きな疑念だけが残った。詰まり、常連客で変に潔癖な者がいて、通報したんだ、と。チクリであろう。
トニイさん(西島さんの愛称)は無類のスヌーピー好きでもあった。トニイさんが座る席の周りはスヌーピーグッズに溢れていた。私が千葉に転勤になった時に、千葉駅前にスヌーピーショップがあったのでお教えしておいた。トニイさんが行ったかどうかはわからない。
トニイレコードは1月に行くべし❗️
トニイファンならそう心に留め置いていたはずだ。何故なら、新年に行くと常連さんなら例え買い物をしなかったとしても、必ずガラス製の正方形で中にトニイさんがセレクトしたであろうJAZZやVOCALの有名なレコジャケが印刷されていた。これは吸いさしを置く為のU字形の溝があったから、迷いなく灰皿と判るが、国民的作家の村上春樹はエッセイで、あれをペン皿として準用している事を告白していた。
誠に賢い使用法であるが、私は停電時にろうそく立てに使った事があるが、センスが違い過ぎるので話題を変えよう。
トニイさんのレコードミニメンテ 〜 良い子はマネしないでね😅…トニイさんでSP盤を試聴させて頂いた時のこと、どうしても針が飛ぶ箇所があって、…ダメだこりゃ、となった時にトニイさんはすかさず、マイナスドライバーよりも更に細っこい工具を取り、ルーペを片目にブッ刺し、SP盤をおもむろに手に取り、ゆっくりと手のひらでその工具の先をそのレコード溝にある突起ブツをガリガリ引っ掻いて取り除く荒治療を施すと云う大胆なメンテが得意であったことを追記しておく。
画像は例の灰皿の図。この他シナトラなどデザイン豊富である。
つづく…。



マサヤス龍之介
#神保町
☆『我が青春神保町 .13』
神保町交差点からJR水道橋駅までの所謂、白山通りは靖国通りが神保町古書店街のメインストリートなのに対し、サブストリート的存在である。
私の様な、中古レコ屋目当ての人種にしてみたら、こちらこそ最重要通りである。
昭和初期創業の富士レコード社の支店である「レコード社」が水道橋駅までの白山通りの中間地点、マツモトキヨシの向かいに鎮座する。
富士レコード社で探してどうしても無いものがこちらに行けばあるやもしれないと、期待を持たせるからだ。若き日に就職した会社に嫌気が差して、一度履歴書持参で面談しに行ったことがある。その時、担当してくれたI氏は私が関東に居た2020年4月までは少なくとも、在社していて、元気に店番をしていた姿が確認できた。その向かいにあったのがTONYレコードで、私の神保町中古レコ屋の根城だった。
創業者の西島経雄さんは平成22年(2010年)7月に逝去された。この方の温容な人柄に魅せられてTONY通いをする常連は数知れぬであろう。小生もそんな数多の常連客の1人に過ぎなかった。この店はトラッド好きのオーナー、西島さんの全てが、凝縮されたサロンであり、小生はBix Beiderbecke、或いはLester YoungそしてBunny Berigan、Eddie Condon、Django Reinhardtなどなど、興味を持ったトラッド系ジャズのアナログ盤を求めて、兎に角日参した。TONYレコードはビルの3階まで店舗と事務所で、西島夫人はご主人が在店している間は3階のオフィスで仕事をされていた様だが、たまには2階のマニアが集う鰻の寝床のフロアで店番をしていることもまゝあった。
1階は大抵バイトや下働きの若そうな店員、時折女子も居たりしたが、トラッドやジャズに限らずニューミュージックや演歌など1階ならではの汎用品がおしなべて幅広く並べられていたが、我々コアなジャズマニアは真っ直ぐ2階に直行したものだ。Benny Goodmanのサイドメン時代の音源だけを収めた米国Sun Beam社のシリーズは常に揃えられていた。そう、西島さんは紅井良男(ベニイグッドマン)と云う異名を取るほどの、ベニー好きだった。
つづく…。







I Can't Get Started

マサヤス龍之介
#神保町
☆『我が青春の神保町 .12』
東京を歩いていた若き日、仕事で歩いた東京、古建築を探す為に歩いた日々、様々なシチュエーションで東京は、そこに在った。神田神保町のコラムでテンポが落ちたが、この街をスルーすることは私には出来ない。余りに思ひ出が詰まり過ぎている。ここは私の第二の故郷だからだ。
今暫く、神保町遊歩語りを続けたい。
北沢書店から更に神保町交差点へ歩を進めると、その並びに古い建物で古賀書店と矢口書店と並んで看板が掲げられた店が見えてきた。
古賀さんの方は音楽本からバンドスコアまで音楽関連の書籍や雑誌、そして楽譜を扱う神保町唯一の古書店だ。若い頃から音楽が好きだった小生にとっては理詰めで音楽を読み解くかなりの、知識をここで蓄えたことになる。
そしてお隣の矢口さんの方は映画関連書籍から果ては映画のパンフまで、或いは演劇関連書籍やパンフレット、そして演映両方のポスターなども扱っている。共に、若い頃から通った音楽、映画に特化した古書店だが、こうして改めてこれら店舗の特異性は、他の追随を許さず小生の心の拠り所となっている事に改めて気付く。この両店で本を買うと黙っててもブックカバーをしてくれるのだがこれら店舗は"神田包み"といって、独特だ。
普通ブックカバーは買ってすぐ読める様にと見開き本の見返しに出来た小さな袋部に表紙を差し込むのだが神田包みは大胆にも、そんな小技をせずにカバーで丸ごと本を包んじまう。前略省略のこの荒技に買う方は圧倒されて、すごすごとレジを後にするしかない。そして神田伯刺西爾辺りでその包みを解く為にセロファンテープを心静かに剥がしてブツにありつく。これが神田神保町で本を買った者の初動作である。さて、演映系の書店…と云へば、都内では下北沢が有名で、北沢タウンホール前の「ほん吉」も馴染深いが、神保町ではここと、その並びにあるブンケンロックサイドは、雑誌のバックナンバーや写真集など古賀書店では扱わないサブカルチャー系に強い。昔は花盛りだったFMステーションやFMファンなどのFM雑誌を探している者にとっては発行順に並んでるので探し易い。と、ここまで書いてwikiを見たら万事休す。古賀書店は令和4年12月で閉鎖していた。103年の歴史だった。お隣の矢口さんは営業中である。
つづく





マサヤス龍之介
#神保町
☆『我が青春の神保町 .11』
神保町古本屋街は靖国通りの専大前交差点辺りから徐々に店が増えていく。専大前交差点から水道橋方面へ目を転じるとそこは神田神保町2丁目で、この界隈は一般会社が大部分を占めていて、一見ビジネス街だが神保町らしく古本屋なども点在している。
本回は靖国通りの北側の地域から極私的に思い入れのある店舗を紹介してゆく。
先ずは、西秋書店。国文系に強い古書店で店舗も然程広くはないものの、兎に角此処ではよく買った。好きな芥川龍之介関連の評論だったが、品揃えは他を圧倒していた。
神保町の国文系古書店と言えば、靖国通り沿いの八木書店であろうが、むしろ私にはアッチは敷居が高い。場所柄、八木書店は明大系、こちら西秋書店は専大や日大、と云う付近には大学が多く点在しているから、そうした縄張が有るのかどうかは不明だが、西秋の店主から昔そんなことを聞いたことがある。余りに私がこの書店で買うので、途中から店主は私が買うごとに小売価格から10%引きをしてくれたものだった。
中古屋通いはこうした核になる常連店を作ることをオススメする。私にとっては古本屋はこの西秋書店、中古レコードは神保町ならTonyレコード、水道橋ならROOT、御茶ノ水ならBird Nest と云う具合で地域ごとに常連店があった。
靖國通りに戻ろう。専大前交差点から神保町交差点に向かうこの道筋には九段方面から神保町へ通う通り道として何度も往復した刷り込み道と化している。今でも瞼を閉じると神保町の風景として先ず浮かぶのは、この道筋の光景なのだ。
この付近にある古書店ではビジュアル的には北澤書店であろう。2017年に一旦閉店、ビルは昭和中期に建てられたが、九段方面から来ると最初に目に飛び込んでくる大型意匠の大建築古書店として圧倒される。閉店後も書店関係者の努力で店のリノベ&リニューアルや2階の洋書古書部の存続を続けて頑張っている。ここは洋古書店なので、英語に不堪能な私は主にJAZZ・ポピュラー系のディスコグラフィーを求めて通っていた。レコードについての録音年月日やスタジオ名、その演奏に加わっているミュージシャンなどのデータベースであり、これがあると何かと重宝する。こういう古書店は兎に角足繁く通うことが望ましい。
つづく…。







マサヤス龍之介
#神保町
☆『我が青春の神保町 .10』
さて、ここで一気に視点を変えて神保町の老舗喫茶2店舗をご紹介しよう。♯ 11でさぼうるは紹介済みなので残りは神保町ファンならお馴染みの名店である。
最初は喫茶ミロンガヌ・オーバ。創業は1953年というから超老舗だ。煉瓦葺きの重厚な外観だが一昨年元の地から40mほどの現在地に移転して、店内は今様の綺麗なレイアウトに改装されている。カウンター席ではUSBアダプタなんかも貸出してくれて今様のサービスにアップデートされたが喫煙が出来ないのが愛煙家の悩みの種だ。これも時代の趨勢か。料理メニュー🥘が充実しておりご覧のメキピラは私のお気に入りだし圧巻は同業他店のマッチコレクションだ。又、世界のビールなんかも嗜むことが出来て前店舗時代の良いところは変わらず踏襲してくれている。お気に入りのブレンドにアルゼンチンタンゴの古いレコードをBGMにタイムスリップ出来ること請け合いである。もう一店舗はミロンガとほぼ同じ地域にある神田伯刺西爾。ぶらじると呼んで欲しい。こここそ私がその日の戦利品をしみじみ品閲覧しながら一服していたオアシスであった。何と云ってもマンデリンなどのストレート豆がほぼ¥600均一なのが嬉しいしそれは今でも変わっていないと云うのだから有難い。カレーの街と化した神保町のそれでも寄りたくなるこうした逸店は長く存続して欲しい。レコード・本マニアには嬉しいとまり木なのだから。。。






ジェラシー

マサヤス龍之介
#神保町
☆『我が青春の神保町 .9』
ニットーレコード東京スタジオ、ここでは作曲家服部良一の意欲作が次々と録音され世に送り出されたが、その時代の印象的な作品としては服部がガーシュインに憧れて交響組曲的長尺盤を書き自らスコアを書いて録音された『意想曲1936年』と云う意欲作がこの吹込所で1935年昭和10年に録音されて、時移り今はここから程近い昭和館と云う国立の博物館にこの音盤が保存展示されていると云うのが、非常に感慨深い。学芸員もそんな歴史的事実を知った上でこのレコードを展示しているのだ、と思うと涙が滲んでくる。ただ、この作品自体はガーシュイン風でもなく、ましてやシンフォニック・ジャズでもないのが少し寂しかった。九段下ビルは解体決定後、この貴重な建物の解体を反対する声がSNSを中心に沸き起こり保存運動にまで発展したが、敢えなく2012年2月に消滅した。このビルに最後まで居住していたのは画家の大西信之。解体工事が始まる直前の2011年12月末まで居住していた。展示会も開催されたがそれは「このビルのことをもっと多くの人に知ってほしい」との思いから大西が企画したものである。尚、跡地には専大10号館が建っている。
関東大震災と東日本大地震と云う2つの災禍に挟まれて旧九段下ビルは古えから現代まで多くの人々を魅了し続けた。
専大前交差点に戻る途中のビルに嘗て、アディロンダックと云うJAZZ系中古レコード店があったと云うお話は当コラム♯ 8で書いた。その時に購入したレコードを紹介したが、字数の都合で漏れたレコードとしては、リーワイリーの名盤 Night in Manhattan のSPアルバムのセットを初めて観たのもここだったと思う。1950年のリリースだからSP盤なのは当たり前と云えばそれまでだが、こちとら、LP盤しか知らなかったので、ジャケもまるで違うデザインで新鮮に思えたものだ。その時に買っておけば…と今でも後悔している。リーワイリーはガーシュインやハロルドアーレン、或いはロヂャース&ハートのソングブックシリーズのオリジナル盤をここで購入したものだった。これらは1942年から43年に掛けて集中的にレコーディングされて、世界で初の作家別ソングブックアルバムとして名高い名盤群であった。
つづく。










I've Got a Crush on You

マサヤス龍之介
#神保町
☆『我が青春の神保町 .8』
さくら通りをそのまま歩を進めて沿道左手にあったのが蓄音機商の梅屋があったが今はもうその地にはないらしい。
その昔、Tonyレコードの西島さんから教わって行ってはみたが、店内は整然とせず、余り商売気もない淡白な対応をされ、二度と行くまいと決めた痛い店舗だった。
今、HPを見る限り蓄音機商の梅屋は大分の住所になっていた。
この辺で、表通りの靖国通りの神保町交差点方面へと向かうことにしようと思うが、その前に専大前交差点付近にある、或いはあった印象的な建物の話をしたい。
靖国通りを九段方向に行った先、首都高5号線が被さる真下に俎橋(まないたばし)のたもと、神田神保町三丁目にあった旧九段下ビル。1927年昭和2年竣工の3階建て鉄筋コンクリート造のテナントビルは大正時代の関東大震災で損害を受けた東京府の所謂、復興助成事業の一環として造られた耐火構造、構造体としての鉄筋コンクリートは、建築当時は主流であった上質な川砂を使っていることもあり、築80年以上経ても長らく大きな劣化は見られなかったと云う。しかし、2011年3月11日に発生した東日本大震災では震度5強の揺れにより被災し(ビルから徒歩数分の距離にあり、同じく昭和初期に建てられた九段会館は、天井が崩落し死者を出す被害を出した)耐震性の保証が難しくなったことから、所有者においてビルの維持は難しいとして解体が決定した。私は、九段下に勤務していた当時、歩いては10分強も掛かるここまで来ては1Fの軽食喫茶で昼食を取っていた。この店のナポリタンと☕️が抜群だったから必ずナポリタンは大盛で頼んでいた。それでこのビルには一際、愛着もあったが、この歴史的建物にはもう一つ重要なテナントがあった事がその後判明した。それは当時大阪市住吉に本拠を置いていたニットーレコード(日東紅茶の子会社)が東京スタジオとして当時最新式のアメリカウエスターシステムの録音所をこのビル内に設置したと云うのだ。当時同社で音楽監督をしていた若き作曲家・服部良一が上京直後にここに頻りに通っていたと云う記述が彼の自伝に書かれていた。場所は九段…としか記載されていないので、一体九段のどこなのだろう?と思っていたが、まさかこの九段下ビルだとはつゆとも知らなかった。
つづく…。





だだだだ💙💛
月見中華そば+わかめ+サービスライス(大)
950円🤣
味も然ることながらこのボリュームで1000円切る👀✨️
#GRAVITYラーメン部 #ラーメン #ニューともちんラーメン #神保町 #朝ラーメン


マサヤス龍之介
#神保町
☆『我が青春の神保町 .7』
白山通りを隔てて、すずらん通りを真っ直ぐ行けば神保町さくら通りと名前が変わる。
この通りは靖国通りの一本裏手。少し店舗数は落ち着くがそれでもここから靖国通り沿いに掛けては見逃せないゾーンである。
すずらん通り側から入る際に左手の白山通り沿いに聳える救世軍本部。威容を誇る。
この裏通り最大のハイライトはやはりササキレコードである。神田古書センターの真裏にあり貴重なクラシック音楽に特化した品揃えのレコード店だがニューミュージック系の名盤も中々である、が、いかんせん売値が高い。いい盤は揃っているものの、お値段高めは好き者泣かせである。現在ではシティポップのリイシューLPはかなり新譜でリイシューされているが、いやはや高い。¥4,400が現在の相場であるが、それでもこの店のリイシュー盤はそれを上回る。
清水の舞台から飛び降りたのはムーンライダースの『火の玉ボーイ』である。¥7,000は超えていたと記憶している。多分最初のリイシューLPであろう。それ以降は余り、足を運ばなくなった。
ササキレコードから九段方面へ歩を進めると、最初の交差点にひっそりと立つ戦前建築のビル、昭和5年竣工の旧無尽相互会社ビル、近々、解体予定とのこと。渋い。が、惜しい。
このビルの裏手は幸いにもコインパーキングだったので、不遜と知りながらビル裏の外壁を撮る。一時、FBのプロフの背景に使っていた。
この斜向かいに有名コインパーキングがありその地続きに今はガラス張りの某有名商社の所有するテナントビル🏙️が建っているが30年前までは古色蒼然たる旧東洋キネマの建物が建っていた。大正末期に建造されて、それこそ映画館として作られたファサードの半円形の凝った意匠にはダダイズムの影響さえ、反映されていると云う識者もいたりする。
ここは徳川夢声が活動弁士全盛期に本拠地とした場所で、半円形はバルコニーにもなっていて、在りし日の夢声が手を振って登場する華やかなりし、大正期の残照を留めている。何と言っても大正末期から昭和初期の活弁は、後の映画スターに匹敵するほどの人気があった時代だったから、このバルコニーはそれらを偲ぶ縁でもあったが、平成4年(1992年)にあっさり解体された。
昭和が次々と消えてゆく。







マサヤス龍之介
#神保町
☆『我が青春の神保町 .6』
神田古書センターの靖国通り側のスケルトンのエレベーターから観る風景は私の青春の原風景だ。あっという間に9Fから1Fへ降下してしまう。専修大学方面から手前に連なる神保町の街並みは私の瞼に焼きついている。神保町交差点に向かう道すがら、昔は信山社の岩波ブックセンターという岩波専門書店だったが現在では神保町ブックセンターとモダンシックなレイアウトに代わり、それでも岩波専門店に変わりはない様だ。中にはブックカフェなども併設されており、今様の店舗に変わり果てている。つまらそうなので、素通りしていい隣は閉館済の岩波書店直営の文化映画封切館『岩波ホール』が鎮座していた。地下鉄神保町駅のお決まり出口がこのビルの地下なので、ここは私の神保町への回廊でもある。ポストモダンな意匠の階段壁のデザインは石造りで、一際目を引いていた。交差点を渡り、靖国通りの一本裏手を通るすずらん通りは靖国通りが大きくうねる三省堂書店本店裏手で交差するまでがその通りで、今ではよしもと神保町劇場などがあり、昔とは趣を異にしている。すずらん通りには今は個性的な食の店舗が居並んでいるが、30年程前はもっと古本屋が多かった。ここ10年で様相がすっかり一変してしまった。これは付近に新興のタワマンが分譲されて新しき地域住民が増えたことにも起因している。残存して頑張っているキッチン南海。創業は小生と同じ1966年。一推しはカツカレーだが、私はシンプルなカレーがいい🍛カレー激戦区の神保町のその一翼を担ってきたのがこの店である事に疑いはない。このすずらん通りには数年前まで営業していたスイヰトポーヅなる棒餃子の店があったが、コロナ禍で閉店してしまった。神保町で中華系の店は少ない。神保町で私のオススメは白山通り沿いに面した三幸園だ。シンプルな町中華ならではのメニューと味付けと脂の濃さが魅惑の素朴なレシピが売りで、ここの行列は好感が持てる。そして、町中華でコッテリした息抜きに寄りたいのが喫茶さぼうるであろう。名前が断然イカしていて外回りの仕事の最中にちょいとサボるにはお誂えと言う訳だ。
真夏の暑い街中の喧騒から逃れて呑むコーヒーフロートに不意に流れてきたBGMはシュガーベイブの♫Down Town だった。コレ本当の話。。










マサヤス龍之介
#神保町
☆『我が青春の神保町 .4』
世界一の古書店街。古書店街…なんと魅惑に富んだ響きであろう。。20才の私は、兄から教わった池袋の古レコード店を皮切りにあっと云う間に神保町に行き着いてしまった。
西武沿線に住んでいる者からしたら神田神保町は遠い街だ。池袋に出るなら地下鉄で御茶ノ水へ出て歩くか、後楽園駅から1丁2丁と歩くか、所沢からなら新宿へ出て都営新宿線で神保町へ出る…然しこれも、西武新宿駅から徒歩で都営線の新宿駅まで歩いたり、高田馬場で国電(当時はそう呼ばれていたJR山手線)に乗り継いで新宿駅経由で都営線に乗り換えると云う実に面倒この上ない旅路であった(今でもさして変わりはない)。アクセスが非常に悪い。
それでも、夥しく通ったのはやはりここにしかない商品が行く度に違う品揃えであることが魅力だったのに違いなかったからだ。
神保町で最初に覚えた店は神田古書センター9Fに現在でも鎮座する富士レコード社である。
ハマり掛けていた昭和流行歌のオリジナル原盤の在庫量がエグかった。現在でもそれは変わらず、都内屈指の量と質を誇る。しかも、その整理の仕方も整然としていてレコード会社別、歌手別に目を見張るものがある。
従って値段もそれなりに割高であった。
店内に陳列されている本当の蓄音機も魅力的で、私はかなり早い段階でここで、Columbia製の昭和10年代モデルの箱型ポータブルを買ったものだった。ただし価値的には大したことはない。
このビルは各階ごとに専門書の古書店がテナントで配されていたが、通う毎に気になっていた2Fのカレー店ボンディにもいつしか行くようになっていた。スープカレーが未だ今ほど流布していない時分であったが、実に美味でありレコード社にいくエレベーターに乗っていると仄かに漂ってくるボンディのカレー香にスッカリ心奪われて、帰りには素通り出来なかったものだ。そのボンディも今や、行列店となり、気楽にさっと入れた昔日のお気楽さはなく、今は1Fの裏口へ周り行列に並ばなければ入れなくなってしまった。実に疎ましいことこの上ない。今や神保町はカレー激戦区の様相である。神保町のカレーと云えばまんてんだろう。以前にも書いた旧TONYレコード、現在のてもみんの水道橋寄り手前の路地を入ると程なく左手にある。










みや
#ボンディー #神保町


パンチ
分かる人には分かると思いますが👔
レトロな雰囲気、ナポリタンは食べ応えあり🍝
そしてBGMは、なんと「BLANKEY JET CITY」
何から何までどストライクでしたo(`ω´ )o
なんとも贅沢な時間を過ごさせてもらいました🤩
また行くぜ[キラッ]
#ひとりごとのようなもの #安部礼司 #神保町 #BLANKEYJETCITY






D.I.Jのピストル

マサヤス龍之介
#神保町 #銀座 #蓄音器
☆『我が青春の神保町 .3』
神田神保町のトニイレコードの主宰者だった西島経雄さんは兎に角様々な中古レコ屋を紹介してくれた。又、それに留まらず時には各種サークルへの参加まで促された。私はそうした識者の集まりには眉をひそめるタイプだったのでそちらはどうも気が進ま無かったが、1度だけアルテックユーという店舗でホットクラブの集まりが京橋であると云うので顔を出すだけ出してみようと行ったが、会場の扉を空けた途端に一斉に中のメンバー達に見据えられて実に気まずかったので、扉を閉めて引き返したということはあった。このグラビティのルームでもそうだが、一見さんでも馴染める雰囲気を作るのは中々難しい。常識あるルーム主なら誰もが分かっていることだとは思う。
西島さんに教えられて馴染んだお店では東銀座のランドマーク、歌舞伎座の路地裏に逼塞するように佇む銀座シェルマンもよく足を運んだものだった。現在ではシェルマンアートワークスと店舗名が変わってしまったが、店内にはリモデルした綺麗で状態の良い高価そうな蓄音器が所狭しと陳列してある。リスニングルームは二階にあり状態の良いSP盤を名機で聴ける空間は筆舌に尽くし難い。先月30日にNHKで放映されたイエローマジックショー.4でも細野晴臣と星野源がここでSP盤を聴いていた。私は専ら1階のSP盤売場の方で"エサ漁り"に集中していた。ここでも数々の名盤を揃えられたが、ここの特徴は欧州盤が多かった。ジャズの本場はアメリカだっだからオリジナル盤ではない。私のようにオリジナルだろうが海賊盤だろうが拘らないユーザーには有り難い訳だが、欧州盤の1つの特徴としては見た目はミント✨️でも実際に掛けるとスクラッチノイズが意外にあったりする物がやたらと多いな、というのが聴いてみた実感である。欧州調達のシェラックが低品質なのか何なのか?これは不思議な現象だった。あとはA面B面に違う演奏がプレスされてる所謂、お得盤の様なものが多いのも特徴だろう。A面にはルイ・アームストロングが入っていてひっくり返すとビックスバイダーベックが収まっているという手合いである。それが嫌な方も居るだろうが、それはそれで楽しいものだ。ただ数ある内の数枚で良い訳だが。今はもう行かなくなった懐かしい店舗の1つである。



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