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ダニヱル🐸
日本橋出発 3月9日
1品川宿 3月9日
2川崎宿 3月9日
3神奈川宿 3月16日
4保土ケ谷宿3月16日
5戸塚宿 3月16日
6藤沢宿 3月20日
7平塚宿 3月20日
8大磯宿 3月20日
9小田原宿 3月24日
10箱根宿 3月30日
11三島宿 4月6日
12沼津宿 4月6日
13原宿 4月13日
14吉原宿 4月13日
15蒲原宿 4月13日
16由比宿 4月20日
17興津宿 4月20日
18江尻宿 4月20日
19府中宿 4月20日
20丸子宿 4月27日
21岡部宿 4月27日
22藤枝宿 4月27日
23島田宿 4月27日
24金谷宿 4月28日
25日坂宿 4月28日
26掛川宿 4月28日
27袋井宿 5月3日
28見附宿 5月3日
29浜松宿 5月3日
30舞阪宿 5月4日
31新居宿 5月4日
32白須賀宿 5月4日
33二川宿 5月4日
34吉田宿 5月5日
35御油宿 5月5日
36赤坂宿 5月5日
37藤川宿 5月5日
38岡崎宿 5月11日
39池鯉鮒宿 5月11日
40鳴海宿 5月11日
41宮宿 5月31日
42桑名宿 5月31日
43四日市宿 6月1日
44石薬師宿 6月1日
45庄野宿 6月7日
46亀山宿 6月7日
47関宿 6月8日
48坂下宿 6月8日
49土山宿 6月8日
50水口宿 6月8日
51石部宿 7月3日
52草津宿 7月3日
53大津宿 7月13日
三条大橋到着7月13日
#東海道
#東海道五十三次










エルドラド山口
品川です。
お墓参りの後は、東海道五十三次品川宿散歩でもしようかなと思いましたが暑さのために一瞬でリタイヤしました😇
歌川広重の浮世絵で地面に横たわってる人がいたら俺ですな🤣
そして、最後はいつもの東京駅で水分補給♫
#GRAVITY飲酒部 #品川
#東海道 #歌川広重
#江戸時代なら行き倒れてる



LONELY AS A STRANGER

リピ〜ト💫
東海道編【田町駅〜大森海岸駅】前編
①②③札の辻交差点
〝辻〟とは街道と街道が交わる場所を指し〝札〟とは人々に布告法令や連絡事項を掲示する掲示板(高札場)のことを指します。辻では庶民の往来が多かったため辻に高札を立てることで多くの庶民が高札を確認できたようです。尚、前回の街道旅で記載した芝口御門は1616年〜1710年までこの地にあったそうで東に江戸湾が広がりその先に房総半島の山々が望める立地だったことから〝一日中眺めていても飽きない〟という意味で別名『日暮御門』と呼ばれていたそうです。その後1683年に高札場は高輪大木戸へ移り1710年に芝口御門は新橋へ移ったことで大きな役割りは終わったそうです。尚、現在では歩道橋の上から北方向を見ると東京タワーがよく見えます。日が暮れるまで‥とはいきませんが(笑)
④⑤元和キリシタン遺跡
三田ツインビル西館の手前を右方向へ登って行くと丘の上に碑が建てられています。1623・1638年、徳川家光によりキリシタン50名以上がこの地で処刑されました。その中には外国人の宣教師も多数含まれており、札の辻が人の往来が多い場所だったことから庶民への見せしめの目的もあったようです。尚、この地は遠藤周作の短編小説『札の辻』に描かれているそうです。
⑥⑦⑧⑨高輪大木戸跡
1710年に札の辻にあった芝口門が新橋へと移った際、代わりに江戸を守る門として1724年に建造されたのが高輪大木戸です。江戸の街への出入口としてランドマーク的な役割りを果たし、更に江戸後期には伊能忠敬が全国の測量を行う際に高輪大木戸を基準としたという記録が残っています。また明治期に入ると田町から北品川まで海上に汽車が通され、その様子は多くの浮世絵に描かれています。ちなみに2020年に開業した『高輪ゲートウェイ駅』はこの高輪大木戸をリスペクトしているようで、駅名発表当初は色々とバッシングを受けましたが私自身は理にかなった名前だと思っています。駅の西側で明治期の線路(護岸)跡が発掘され、ニュースに取り上げたのも記憶に新しいですね。
#リピ散歩
#旧街道旅
#東海道
#港区










せいくま
古い町並みはどの時間帯でも風情があります😊
#散歩 #古い町並み #有松 #名古屋 #東海道





リピ〜ト💫
弥次さん喜多さんも食べた川崎宿の名物です
しじみ汁が疲れた身体に沁みましたー
#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道 #川崎宿 #奈良茶めし


リピ〜ト💫
川崎目指してがんばりまーす👟
#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道


リピ〜ト💫
東海道旅も神奈川県に入りました。今年中に川崎宿から神奈川宿まで歩く予定ですが、その前に箱根峠を箱根湯本〜芦ノ湖まで進みたいと思ってます🚶♂️🚶♀️
#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道 #川崎宿










リピ〜ト💫
東海道編【田町駅〜大森海岸駅】中編
泉岳寺
泉岳寺は桶狭間の戦いで敗れた今川義元の菩提を弔うため義元の孫『門庵宗関』により1612年に創建されました。当初は外桜田にありましたが、寛永の大火で焼失したため高輪で再建されたそうです。尚、泉岳寺は浅野家の菩提寺として知られ、忠臣蔵でお馴染みの浅野内匠頭や大石内蔵助など赤穂浪士四十七士の墓があることで有名です。300円を納め沢山の線香を貰い多くの墓に御参りするのも良い経験になりました。
※山門
1832年建立。一階の天井には江戸三龍の一つ『銅形大蟠龍』がはめ込まれています。
#リピ散歩
#旧街道旅
#東海道
#港区
#泉岳寺










リピ〜ト💫
①品川寺
品川寺は9世紀の初め空海により開山されたそうです。山門前には江戸六地蔵の一つである銅造地蔵菩薩坐像(1708年建立)が鎮座しており江戸時代から現代に至るまで旅人の安全を見守っています。ちなみに品川寺は〝しながわでら〟と呼ばず〝ほんせんじ〟と呼びます。仏教は中国から伝わった教えのため寺名は音読みで発音するそうです。確かに浅草寺も〝あさくさでら〟と呼ばずに〝せんそうじ〟と呼びますね
②③山内容堂公墓所
鮫洲駅の高架下を潜り大井公園の南階段を上ると山内容堂公の墓があります。山内容堂公は幕末の土佐藩主です。酒と女と詩を愛し、自らを鯨海酔候(げいかいすいこう)と称していました。一方で『幕末の四賢候』の一人に列せられるほどの改革派であり坂本龍馬や後藤象二郎により進言を受け幕府へ大政奉還の建白書を提出するなど豪胆な一面も見せています。
④浜川砲台跡
立会川駅東の浜川公園に砲台のレプリカが展示されています。1853年に横須賀沖に黒船が来航すると幕府は再び訪れる黒船の来航に備え江戸湾の防衛を進めました。ここから400m ほど北西(現浜川中学校)には土佐藩の下屋敷がありこの浜川公園付近には土佐藩の抱屋敷(土佐から送られてくる物資を荷揚げする場所)があったそうですが土佐藩においても黒船来航の翌年には合計8門の砲台を設置したそうです
⑤⑥坂本龍馬像
立会川商店街の一画に坂本龍馬像があります。土佐藩の下屋敷や浜川砲台には若き日の坂本龍馬も訪れていたそうで藩士として砲台の守りにも着いていたようです。尚、この龍馬像は17〜18歳だった頃の龍馬をイメージして造られており足にはブーツではなく草履を履いています
⑦鈴ヶ森刑場跡
江戸の街外れにはいくつかの刑場があり鈴ヶ森刑場もその一つとされています。敷地内には磔台や火炙石など往時に使われたとされる土台がそのまま残されています。由井正雪の乱に関わった『丸橋忠弥』や夜桜お七のモデルとなった『八百屋お七』など1651年の開設から1874年の閉鎖まで約10〜20万人が刑に処せられたそうです
⑧⑨品川水族館を横目に大森海岸駅でフィニッシュです
#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道 #品川宿










リピ〜ト💫
田町〜蒲田まで歩いてるんだけど、今日は箱根駅伝だったみたい🏃💨
#リピ散歩
#旧街道旅
#東海道
#箱根駅伝


リピ〜ト💫
江戸時代、食あたりや暑気に効く和中散という薬が旅人に重宝されていました。ここより北の美原地区には和中散を取り扱う店舗が三軒ほどあり、そのうちの一軒の主人『山本忠左衛門』がこの地に店を構えたそうです。その後、息子の山本久三郎が梅を集めて茶屋を開いたことで梅の名所『梅屋敷』と呼ばれるようになりました。安藤広重の浮世絵にも描かれ、明治天皇も計9回ほど訪れた梅屋敷には『明治天皇行幸所蒲田梅屋敷』の碑が建てられています。
また梅屋敷は幕末に起こった『梅屋敷事件』の舞台としても有名です。1862年、尊王攘夷に燃える長州藩の高杉晋作や久坂玄瑞らは横浜異人館の襲撃を計画します。しかし計画は土佐藩主『山内容堂』の知るところとなり直ちに長州藩主『毛利元徳』へ報告されました。その後、元徳は梅屋敷で高杉たちを説得し襲撃計画は未然に防がれたそうですが、長州藩士の一人『周布政之助』が山内容堂を馬鹿にしたことで土佐藩士と一触即発となりました。高杉の機転によりことなきを得ましたが、ここで長州藩と土佐藩が仲違いをしていたら〝薩長土肥〟中心の明治維新は無かったかもしれませんね。ちなみに一度は襲撃計画を諦めた高杉たちですが、その後『英国公使館焼き討ち事件』を実行しています。
#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道 #蒲田 #梅屋敷





リピ〜ト💫
①②高輪海岸の石垣石
高輪二丁目交差点に高輪海岸の石垣が移設されています。この石垣は江戸時代の護岸工事の際に使われていたものだそうです
③④⑤⑥問答河岸跡
箱根駅伝を見た八ツ山橋交差点を左折し品川宿へ入ります。京急本線を越えると問答河岸跡碑があります。江戸時代、品川宿の海岸沿いに東海寺という寺院があり、徳川家光がこの東海寺に立ち寄った際に出迎えた沢庵和尚と問答になりました。
家光『海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に』
沢庵『大軍を率いても将(小)軍と言うが如し』
‥2人の親父ギャグの場所でした(笑)
⑦土蔵相模跡
幕末には『桜田門外ノ変』実行役の水戸浪士たちの決起場所として、その後は高杉晋作や伊藤博文など維新志士たちの会合場所として利用されたそうです。
余談ですが、この西には北品川駅があります。1904年に品川駅として開業されましたが1925年に品川宿の北に位置するという理由で北品川駅に変更されました。品川駅の南にあるのに北品川駅というのが面白いですね。ちなみに現在の品川駅は港区にあることは有名な話ですが品川駅のあった場所が明治初期に品川県だったことからこの名前が付けられたそうです。廃藩置県により品川県が廃止されたために港区となり余計にややこしくなってしまったようですね(笑)
⑧品川宿本陣跡
中山道の板橋宿、日光街道の千住宿、甲州街道の内藤新宿と共に江戸四宿とされ往時は大変賑わったそうです。本陣は1868年の明治天皇巡行の際に行在所として使用され、巡行を記念した聖蹟公園が奥に整備されています。尚、品川宿は3つのエリアに分かれておりこの辺りは北品川宿、この先にある目黒川より南を南品川宿、本陣の手前にあった法禅寺より北を歩行(かち)新宿と呼んでいたそうです
⑨釜屋跡
品川宿は参勤交代において江戸に入る前の最後の宿場町であったことから多くの大名が茶屋や料亭に立ち寄り身なりを整えてから江戸へ向かったそうです。特にこの釜屋は風光明媚な立地にあったため1867年に幕府御用宿として多くの幕臣たちが利用したそうで、新撰組の土方歳三や井上源三郎が休息を取った記録が残されています。先ほど見学した土蔵相模は長州や薩摩藩の藩士たちの会合場所となっており同じ宿場町で敵同士が暗躍していたようですね。
#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道 #品川宿










リピ〜ト💫
#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道


リピ〜ト💫
クラフトビールで一杯やって
トーキョー戻ります
#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道 #川崎宿



リピ〜ト💫
街道に戻り100m 進むと、右手のポケットパーク内に江戸歌舞伎発祥の地碑があります。
歌舞伎の起源は1603年に『出雲阿国』が京都で始めた〝歌舞伎踊り〟が発祥とされ、江戸歌舞伎においては1624年に『中村勘三郎』を中心とした猿若座がこの地で興行を行ったのが始まりとされています。ちなみにテレビなどによく登場する銀座歌舞伎座はここから500m 先の銀座四丁目交差点を左折し300m ほど進んだ場所にあります。
#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道


リピ〜ト💫
品川まで行けるのか?笑
#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道




もりちゃん
茅ヶ崎から二宮まで19キロくらい歩いたー
スゴいゴミ屋敷や
子どもが書いたようなアジのある看板の店とか
歩かないと見えてこない風景がみれた^_^






ゆうき
#旅の記録 #東海道 #ひとり旅 #無計画









リピ〜ト💫
更に300m ほど進み首都高の下を流れる古川に架かる金杉橋を渡ります。この辺りは日本橋から一里(約4km )の距離にあり、東海道最初の一里塚があったのでは?と考えられています。ただし江戸中期の絵図にすでに一里塚の形跡は無く、この先の高輪大木戸までは江戸の街中との考えがあったため、最初から一里塚は造られなかったのでは?という説もあるそうです。
尚、往時は金杉橋のすぐ東には江戸湾が広がり、この辺りには大きな栴檀(センダン)の木が生えていたそうです。栴檀は花や実や葉など年間を通して目立つ樹木であることから漁師たちの航海の目印となり、光る木との異名からこの地を〝金杉〟と呼ぶようになったとされています。海から見えた栴檀は陸からも目立つと思われ、一里塚は無くても旅人にとって栴檀が目印となったことでしょう。浮世絵にも栴檀と思われる一本の大木が描かれています。
余談ですが明治に入り東京で初めてガス灯がともったのも金杉橋だそうですよ。
#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道



新着

ゆう🎸🎸🎸
#静岡 #富士山 #東海道


みー
とりあえず新型車両みたいに全席コンセント求む!!!
#連日#出張#東海道#新幹線
#仙台帰りの翌日に5時起きはツライです


俺がでーすけ
じゃん負けで雪だるまウッザ🤣
みんなはクリスマス今年コスするのー?
雪だるまやるつもりの仲間は挙手🙋
飲みくる?w
#名古屋 #東海道 #港区 #pubアユム #飲み屋 #飲み友達募集 #飲み放題 もあるよ



もりちゃん
サカさんと出発。
ヴァーム飲んで
カテキン茶飲んで
ひたすらダベりながら歩いた。
30,251歩。21キロくらい。
二宮からゴールの箱根まで。
戻ってビール飲むのが楽しみ♪










リピ〜ト💫
金杉橋から900m ほど進むと左手の工事現場の壁に薩摩藩の屋敷跡の説明板?が貼ってあります。戊辰戦争の最中、この薩摩藩邸において西郷隆盛と勝海舟の会談が開かれ江戸城の無血開城が正式に決まりました。碑には歴史の教科書でお馴染みの会談の様子がレリーフとして描かれています。
尚、この先の田町駅で今回の旅は終わりです。沢山の👍ありがとうございました。
#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道



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