共感で繋がるSNS
人気
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える ♯ 24

#ランボー詩集 #中原中也訳


わが放浪

私は出掛けた、手をポケットに突つ込んで。
半外套は申し分なし。
私は歩いた、夜天の下を、ミューズよ、私は忠僕でした。
さても私の夢みた愛の、なんと壮観だつたこと!
独特の、わがズボンには穴が開(あ)いてた。
小さな夢想家・わたくしは、道中韻をば捻つてた。
わが宿は、大熊星座。大熊星座の星々は、
やさしくささやきささめいてゐた。

そのささやきを路傍(みちばた)に、腰を下ろして聴いてゐた
あゝかの九月の宵々よ、酒かとばかり
額には、露の滴を感じてた。

幻想的な物影の、中で韻をば踏んでゐた、
擦り剥けた、私の靴のゴム紐を、足を胸まで突き上げて、
竪琴みたいに弾きながら。

つづく…。
GRAVITY
GRAVITY23
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 39

#ランボー詩集 #中原中也訳


最初の聖体拝受     Ⅰ

 それあもう愚劣なものだ、村の教会なぞといふものは
 其処に可笑しな村童の十四五人、柱に垢をつけながら
 神聖なお説教がぽつりぽつりと話されるのを聴いてゐる、
 まこと奇妙な墨染の衣、その下では靴音がごそごそとしてゐる。
 あゝそれなのに太陽は木々の葉越しに輝いてゐる、不揃ひな焼絵玻璃(ゑまきがらす)の古ぼけた色を透して輝いてゐる。

 石は何時でも母なる大地を呼吸してゐる。
 さかりがついて荘重に身顫ひをする野原の中には
 泥に塗れた小石の堆積(やま)なぞ見受けるもので、
 重つたるい麦畑の近く、赫土の小径の中には
 焼きのまはつた小さな木々が立つてゐて、よくみれば青い実をつけ、
 黒々とした桑の樹の瘤や、怒気満々たる薔薇の木の瘤、

 百年目毎に、例の美事な納屋々々は
 水色か、クリーム色の野呂で以て塗換へられる。
 ノートル・ダムや藁まみれの聖人像の近傍に
 たとへ異様な聖物はごろごろし過ぎてゐようとも、
 蠅は旅籠屋や牛小舎に結構な匂ひを漂はし
 日の当つた床からは蝋を鱈腹詰め込むのだ。
 
 子供は家に尽さなければならないことで、つまりその
 凡々たる世話事や人を愚鈍にする底の仕事に励まにやならぬのだ。
 彼等は皮膚がむづむづするのを忘れて戸外(そと)に出る、
皮膚にはキリストの司祭様が今し効験顕著(あらかた)な手をば按かれたのだ。
 彼等は司祭様には東屋の蔭濃き屋根を提供する
 すると彼等は日焼けした額をば陽に晒させて貰へるといふわけだ。

 最初(はじめて)の黒衣よ、どらやきの美しく見ゆる日よ、
 ナポレオンの形をしたのや 
 小判の形をしたの或ひは飾り立てられてジョゼフとマルトが
 恋しさ余つて舌を出した絵のあるものや
 ──科学の御代にも似合はしからうこれらの意匠──
 これら僅かのものこそが最初の聖体拝受の思ひ出として彼等の胸に残るもの。
 
つづく…。
 
GRAVITY
GRAVITY21
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 33

#ランボー詩集 #中原中也訳


七人の詩人(2)

 七才にして、彼は砂漠の生活の物語(ロマン)を書いた。
 大沙漠、其処で自由は伸び上り、
 森も陽も大草原も、岸も其処では燿(かがや)いた!
 彼は絵本に助けを借りた、彼は絵本を一心に見た、
 其処にはスペイン人、イタリヤ人が、笑つてゐるのが見られるのだつた。
 更紗模様の着物著た、お転婆の茶目の娘が来るならば、
 ──その娘は八才で、隣りの職人の子なのだが、
 此の野放しの娘奴が、その背に編髪(おさげ)を打ゆすり、
 片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
 彼を下敷にするといふと、彼は股に噛み付いた、
 その娘、ズロース穿いてたことはなく、
 扨、拳固でやられ、踵で蹴られた彼は今、
 娘の肌の感触を、自分の部屋まで持ち帰る。

 どんよりとした十二月の、日曜日を彼は嫌ひであつた、
 そんな日は、髪に油を付けまして、桃花心木(アカジユ)の円卓に着き、
 縁がキャベツの色をした、バイブルを、彼は読むのでありました。
 数々の夢が毎晩寝室で、彼の呼吸を締めつけた。
 彼は神様を好きでなかつた、鹿ノ子の色の黄昏に場末の町に、
 仕事着を着た人々の影、くり出して来るのを彼は見てゐた
 扨其処には東西屋がゐて、太鼓を三つ叩いては、
 まはりに集る群集を、どつと笑はせ唸らせる。  
 彼は夢みた、やさしの牧場、其処に耀ふ大浪は、
 清らの香は、金毛は、静かにうごくかとみればフツ飛んでゆくのでありました。

 彼はとりわけ、ほのかに暗いものを愛した、
 鎧戸閉めて、ガランとした部屋の中、
 天井高く、湿気に傷む寒々とした部屋の中にて、
 心を凝らし気を凝らし彼が物語を読む時は、
 けだるげな石黄色の空や又湿つた森林、
 霊妙の林に開く肉の花々、
 心に充ちて──眩暈、転落、潰乱、はた遺恨!──
 かゝる間も下の方では、街の躁音(さやぎ)のを 
 やみなく
 粗布重ねその上に独りごろんと寝ころべば
 粗布は、満々たる帆ともおもはれて!……
GRAVITY
GRAVITY21
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 53

#ランボー詩集 #中原中也訳




 鳥たちと畜群と、村人達から遐(とほ)く離れて、
 私はとある叢林の中に、蹲(しやが)んで酒を酌んでゐた
 榛(はしばみ)の、やさしい森に繞られて。
 生ツぽい、微温の午後は霧がしてゐた。
 かのいたいけなオワズの川、声なき小楡(こにれ)花なき芝生、
 垂れ罩(こ)めた空から私が酌んだのは──
 瓢(ひさご)の中から酌めたのは、味もそつけもありはせぬ
 徒(いたづら)に汗をかゝせる金の液。

 かくて私は旅籠屋(はたごや)の、ボロ看板となつたのだ。
 やがて嵐は空を変へ、暗くした。
 黒い国々、湖水(みづうみ)々々、竿や棒、
 はては清夜の列柱か、数々の船著場か。

 樹々の雨水(あめみづ)砂に滲み
 風は空から氷片を、泥池めがけてぶつつけた……
 あゝ、金、貝甲の採集人かなんぞのやうに、
 私には、酒なぞほんにどうでもよいと申しませう。
GRAVITY
GRAVITY20
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 74

#ランボー詩集 #中原中也訳


孤児等のお年玉

 ※

 あゝ! 楽しかつたことであつた、何べん思ひ出されることか……
 ──変り果てたる此の家(や)の有様(さま)よ!
太い薪は炉格(シユミネ)の中で、かつかかつかと燃えてゐたつけ。
 家中明るい灯火は明り、
 それは洩れ出て外まで明るく、
 机や椅子につやつやひかり、
 鍵のしてない大きな戸棚、鍵のしてない黒い戸棚を
 子供はたびたび眺めたことです、
 鍵がないとはほんとに不思議! そこで子供は夢みるので
 した、
 戸棚の中の神秘の数々、
 聞こえるやうです、鍵穴からは、
 遠いい幽かな嬉しい囁き……
 ──両親の部屋は今日ではひつそり!
 ドアの下から光も漏れぬ。
 両親はゐぬ、家よ、鍵よ、
 接唇(ベーゼ)も言葉も呉れないまゝで、去(い)つてしまつた!
 なんとつまらぬ今年の正月!
 ジツと案じてゐるうち涙は、
 青い大きい目に浮かみます、
 彼等呟く、『何時母さんは帰つて来(くる)ンだい?』
GRAVITY
GRAVITY19
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 36

#ランボー詩集 #中原中也訳


ジャンヌ・マリイの手(2)

 この手は背骨の矯正者、
 決して悪くはしないのだ、
 機械なぞより正確で、馬よりも猶強いのだ!
 
 猛火とうごめき
 戦き慄ひ、この手の肉は
 マルセイェーズを歌ふけれども
 エレーゾンなぞ歌はない!
 
 あらくれどもの狼藉は
 厳冬の如くこの手に応へ、
 この手の甲こそ気高い暴徒が
 接唇(くちづけ)をしたその場所だ!
 
 或時この手が蒼ざめた、
 蜂起した巴里市中の
 霰弾砲(さんだんほう)の唐銅(からかね)の上に
 托された愛の太陽の前で!
 
 神々しい手よ、甞てしらじらしたことのない
 我等の脣(くち)を顫はせる手よ、
 時としておまへは拳の形して、その拳に
 一連(ひとつら)の、指環もがなと叫ぶのだ!
  
 又時としてその指々の血を取つて、
 おまへがさつぱりしたい時、
 天使のやうな手よ、それこそは
 我等の心に、異常な驚き捲き起すのだ。
GRAVITY
GRAVITY19
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 25

#ランボー詩集 #中原中也訳


蹲踞(そんきょ)

やがてして、兄貴カロチュス、胃に不愉快を覚ゆるに、
軒窗(のきまど)に一眼(いちがん)ありて其れよりぞ
磨かれし大鍋ごとき陽の光
偏頭痛さへ惹起(ひきおこ)し、眼どろんとさせるにぞ、
そのでぶでぶのお腹をば布団の中にと運びます。

ごそごそと、灰色の布団の中で大騒ぎ、
獲物啖(く)つたる年寄さながら驚いて、
ぼてぼての腹に膝をば当てまする。
なぜかなら、拳を壺の柄と枉(ま)げて、
肌着をばたつぷり腰までまくるため!

ところで彼氏蹲(しゃが)みます、寒がつて、足の指をばちぢかめて、
麺麭(パン)の黄を薄い硝子に被(き)せかける
明るい日向にかぢかむで。
扨(さて)お人好し氏の鼻こそは仮漆(ラツク)と光り、
肉出来の珊瑚樹かとも、射し入る陽光(ひかり)を厭ひます。



つづく…。
GRAVITY
GRAVITY19
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 45

#ランボー詩集 #中原中也訳


酔ひどれ船(1)

 私は不感な河を下つて行つたのだが、
 何時しか私の曳船人等は、私を離れてゐるのであつた、
 みれば罵り喚く赤肌人(あかはだびと)等が、
 彼等を的にと引ツ捕へ、
 色とりどりの棒杭に裸かのままで釘附けてゐた。
 私は一行の者、フラマンの小麦や英綿の荷役には
 とんと頓着してゐなかつた曳船人等とその騒ぎとが、私を去つてしまつてからは
 河は私の思ふまま下らせてくれるのであつた。

 私は浪の狂へる中を、さる冬のこと
 子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂つたことがあつたつけが!
 怒濤を繞(めぐ)らす半島と雖(いへど)も
 その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであつた。
 
 嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
 浮子(うき)よりももつと軽々私は浪間に躍つてゐた
 犠牲者達を永遠にまろばすといふ浪の間に
 幾夜ともなく船尾の灯に目の疲れるのも気に懸けず。
 子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
 緑の水はわが樅の船体に滲むことだらう
 又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
 無暗矢鱈に降りかかつた。

 その時からだ、私は海の歌に浴した。 
 星を鏤(ちりば)め乳汁のやうな海の、
 生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入つてあれば、
 折から一人の水死人、思ひ深げに下つてゆく。

 其処に忽ち蒼然色(あをーいいろ)は染め出され、おどろしく
 またゆるゆると陽のかぎろひのその下(もと)を、
 アルコールよりもなほ強く、竪琴よりも渺茫(べうぼう)と、
 愛執のにがい茶色も漂つた!

 私は知つてゐる稲妻に裂かれる空を竜巻を
 打返す浪を潮流を。私は夕べを知つてゐる、
 群れ立つ鳩にのぼせたやうな曙光(あけぼの)を、
  又人々が見たやうな気のするものを現に見た。
 
 不可思議の畏怖(おそれ)に染みた落日が
 紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
 古代の劇の俳優か、
 大浪は遠くにはためき逆巻いてゐる。
 私は夢みた、眩いばかり雪降り積つた緑の夜を
 接唇は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
 未聞の生気は循環し
 歌ふがやうな燐光は青に黄色にあざやいだ。

 私は従つた、幾月も幾月も、ヒステリックな牛小舎に
 似た大浪が暗礁を突撃するのに、
 
GRAVITY
GRAVITY18
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 23

#ランボー詩集 #中原中也訳


食器戸棚

これは彫物のある大きい食器戸棚
古き代の佳い趣味(あぢ)あつめてほのかな檞材(かし)。
食器戸棚は開かれてけはひの中に浸つてゐる、
古酒の波、心惹くかをりのやうに。

満ちてゐるのは、ぼろぼろの古物(こぶつ)、
黄ばんでプンとする下着類だの小切布(こぎれ)だの、
女物あり子供物、さては萎んだレースだの、
禿鷹の模様の描かれた祖母(ばあ)の肩掛もある。探せば出ても来るだらう恋の形見や、白いのや
金褐色の髪の束、肖顔(にがほ)や枯れた花々や
それのかをりは果物のかをりによくは混じります。

おゝいと古い食器戸棚よ、おまへは知つてる沢山の話!
おまへはそれを話したい、おまへはそれをささやくか
徐(しづ)かにも、その黒い大きい扉が開く時。

つづく…。
GRAVITY
GRAVITY18
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 84

#ランボー詩集 #中原中也訳


首吊人等の踊り

 愛嬌のある不具者(かたはもの)=絞首台氏のそのほとり、
 踊るわ、踊るわ、昔の刺客等、
 悪魔の家来の、痩せたる刺客等、
    サラヂン幕下の骸骨たちが。

 ビエルヂバブ閣下事には、ネクタイの中より取り出しめさるゝ
 空を睨んで容子振る、幾つもの黒くて小さなからくり人形、
 さてそれらの額(おでこ)の辺りを、古靴の底でポンと叩いて、
 踊らしめさるゝ、踊らしめさるゝ、ノエル爺(じじい)の音に合せて!
機嫌そこねたからくり人形事(パンタンこと)には華車(ちやち)な腕をば絡ませ合つて、
 黒い大きなオルガンのやう、昔綺麗な乙女達が  
 胸にあててた胸当のやう、
 醜い恋のいざこざにいつまで衝突(ぶつかり)合ふのです。
 ウワーツ、陽気な踊り手には腹(おなか)もない
 踊り狂へばなんだろとまゝよ、大道芝居はえてして長い!
 喧嘩か踊りかけぢめもつかぬ!
 怒(いき)り立ちたるビエルヂバブには、遮二無二ヴィオロン掻きめさる!

 おゝ頑丈なそれらの草履(サンダル)、磨減(すりへ)ることとてなき草履よ!……
 どのパンタンも、やがて間もなく、大方肌著を脱いぢまふ。
 脱がない奴とて困つちやをらぬ、悪くも思はずけろりとしてる。
 頭蓋の上には雪の奴めが、白い帽子をあてがひまする。

 亀裂(ひび)の入つたこれらの頭に、烏は似合ひのよい羽飾り。
 彼等の痩せたる顎の肉なら、ピクリピクリと慄へてゐます。
 わけも分らぬ喧嘩騒ぎの、中をそは〳〵往つたり来たり、
 しやちこばつたる剣客刺客の、厚紙(ボール)の兜は鉢合わせ。

 ウワーツ、北風ピユーピユー、骸骨社会の大舞踏会の真ツ只中に!
 大きい鉄のオルガンさながら、絞首台氏も吼えまする!
 狼たちも吠えてゆきます、彼方紫色の森。
 地平の果では御空が真ツ赤、地獄の色の真ツ赤です……
 さても忘れてしまひたいぞえ、これら陰気な威張屋連中、
 壊れかゝつたごつごつ指にて、血の気も失せたる椎骨の上
 恋の念珠を爪繰る奴等、陰険(いや)な奴等は忘れたいぞえ!
 味もへちまも持つてるもんかい、くたばりきつたる奴等でこそあれ!

 さもあらばあれ、死人の踊の、その中央(ただなか)で跳ねてゐる

つづく…。
GRAVITY
GRAVITY17
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 73

#ランボー詩集 #中原中也訳


孤児等のお年玉

 Ⅲ
 諸君は既にお分りでせう、此の子等には母親はありません。
 養母(そだておや)さへない上に、父は他国にゐるのです!……
 そこで婆やがこの子等の、面倒はみてゐるのです。
 つまり凍つた此の家に住んでゐるのは彼等だけ……
 今やこれらの幼い孤児が、嬉しい記憶を彼等の胸に
 徐々に徐々にと繰り展げます、
 恰度お祈りする時に、念珠(じゅづ)を爪繰るやうにして。
 あゝ! お年玉、貰へる朝の、なんと嬉しいことでせう。
 明日は何を貰へることかと、眠れるどころの騒ぎでない。
 わくわくしながら玩具を想ひ、
 金紙包みのボンボン想ひ、キラキラきらめく宝石類は、
 しやなりしやなりと渦巻き踊り、
 やがて見えなくなるかとみれば、またもやそれは現れてくる。
 さて朝が来て目が覚める、直ぐさま元気で跳ね起きる。
 目を擦つてゐる暇もなく、口には唾(つばき)が湧くのです、
さて走つてゆく、頭はもぢやもぢや、
 目玉はキヨロキヨロ、嬉しいのだもの、
 小さな跣足(はだし)で床板踏んで、
 両親の部屋の戸口に来ると、そをつとそをつと扉に触れる、
 さて這入ります、それからそこで、御辞儀……寝巻のまんま、
接唇(ベーゼ)は頻つて繰返される、もう当然の躁ぎ方です!
GRAVITY
GRAVITY17
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 71

#ランボー詩集 #中原中也訳


 追加篇

 孤児等のお年玉     
     Ⅰ

 薄暗い部屋。
 ぼんやり聞こえるのは
 二人の子供の悲しいやさしい私話(ささやき)。
 互ひに額を寄せ合つて、おまけに夢想(ゆめ)で重苦しげで、
 慄へたり揺らいだりする長い白いカーテンの前。
 戸外(そと)では、小鳥たちが寄り合つて、寒がつてゐる。
 灰色の空の下で彼等の羽はかじかんでゐる。
 さて、霧の季節の後に来た新年は、
 ところどころに雪のある彼女の衣裳を引摺りながら、
 涙をうかべて微笑をしたり寒さに慄へて歌つたりする。
 
GRAVITY
GRAVITY17
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 65

#ランボー詩集 #中原中也訳


 永遠

 また見付かつた。
 何がだ? 永遠。
 去(い)つてしまつた海のことさあ
 太陽もろとも去つてしまつた。
 見張番の魂よ、
 白状しようぜ
 空無な夜に就き
 燃ゆる日に就き。

 人間共の配慮から、
 世間共通(せけんならし)の逆上(のぼせ)から、
 おまへはさつさと手を切つて
 飛んでゆくべし……

 もとより希望があるものか、
 願ひの条(すぢ)があるものか
 黙つて黙つて勘忍して……
 苦痛なんざあ覚悟の前。
 繻子(しゆす)の肌した深紅の燠(おき)よ、
 それそのおまへと燃えてゐれあ
 義務はすむといふものだ
 やれやれといふ暇もなく。

 また見付かつた。何がだ? 永遠。
 去つてしまつた海のことさあ
 太陽もろとも去つてしまつた。
GRAVITY
GRAVITY17
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 41

#ランボー詩集 #中原中也訳


最初の聖体拝受(3)


 最初の聖体拝受の前日に、少女は病気になりました。
 上等の教会の葬式の日の喧噪よりも甚だしく
 はじめまづ悪寒が来ました、──寝床は味気なくもなかつた、
 並ならぬ悪寒は繰返し襲つて来ました、⦅私は死にます……))

 恋の有頂天が少女の愚かな姉妹達を襲つた時のやうに、
 少女は打萎れ両手を胸に置いたまゝ、熱心に
 諸天使や諸所のエス様や聖母様を勘定しはじめました、
 そして静かに、なんとも云へぬ喜びにうつとりするのでありました。

 神様!……──羅典(らてん)の末期にありましては、
緑の波形ある空が朱色の、
 天の御胸の血に染みた人々の額を潤ほしました、
 雪のやうな大きな麻布は、太陽の上に落ちかゝりました!──

 現在の貞潔のため、将来の貞潔のために
 少女はあなたの『容赦(みゆるし)』の爽々しさにむしやぶりついたのでございますが、
 水中の百合よりもジャムよりももつと
 あなたの容赦は冷たいものでございました、おやシオンの女王様よ!     


それからといふもの聖母ははや書物(ほん)の中の聖母でしかなかつた、
 神秘な熱も時折衰へるのであつた……
 退屈(アンニユイ)や、どぎつい極彩色や年老いた森が飾り立てる
 御容姿(みすがた)の数々も貧弱に見え出してくるのであつた、
 
 どことなく穢らはしい貴重な品の数々も
 貞純にして水色の少女の夢を破るのであつた、 
 又脱ぎ捨てられた聖衣の数々、
 エス様が裸体をお包みなされたといふ下著をみては吃驚(びつくり)するのでありました。

 
 それなのになほも彼女は願ふ、遣瀬なさの限りにゐて、
 歔欷(すすりなき)に窪んだ枕に伏せて、而も彼女は
 至高のお慈悲のみ光の消えざらんやう願ふのであつた
 扨涎が出ました……──夕闇は部屋に中庭に充ちてくる。

 少女はもうどうしやうもない。身を動かし腰を伸ばして、
 手で青いカーテンを開く、
 涼しい空気を少しばかり敷布や
 自分のお腹や熱い胸に入れようとして。

つづく…。
GRAVITY
GRAVITY17
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 17

#ランボー詩集 #中原中也訳


4. ジュギュルタ王(7)

3
これぞこれ、汝(な)に顕れしアラビヤが祖国(くに)の精神(こころ)ぞ!))



   千八百六十九年七月二日
 シャルルヴィル公立中学通学生
  ランボオ・ジャン・ニコラス・アルチュル
GRAVITY
GRAVITY17
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 14

#ランボー詩集 #中原中也訳

4. ジュギュルタ王(4)

 我こそは羅馬の国土に乗り込めり、
 その都までも。ニュミイドよ! 汝が額に
 我平手打を啖(くら)はせり、我は汝等傭兵ばらを物の数とも思はざり。
 茲(ここ)にして彼等久しく忘れゐたりし武器を執り、
 我亦立つて之に向へり。我は捷利を思はざり、
 唯に羅馬に拮抗せんことこそ思へり!
 河に拠り、巌嶮(いはほ)に拠りて、我敵軍に対すれば、
 敵勢は、リビイの砂原、或はまた、丘上の角面堡より攻めんとす。
 敵軍の血はわが野山蔽(おう)ひつつ、
 我がなみならぬ頑強に、四分五裂となりやせり……

 彼はアラビヤの山多き地方に生れた、彼は健やかに
 軟風(そよかぜ)の云ふを開けば、((これはこれはジュギュルタが孫!……))

つづく…。
GRAVITY
GRAVITY17
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 12

#ランボー詩集 #中原中也訳

4. ジュギュルタ王(2)

 我、久しきより羅馬の民は、気高き魂(たま)を持てると信ぜり、
 さはれ成人するに及びて、よくよく見るに、
 そが胸には、大いなる傷、口を開け、
 そが四股には、有毒な物流れたり。
 それや黄金の崇拝!……そは彼等武器執る手にも現れゐたり!……
 穢(けが)れたるかの都こそ、世界に君臨しゐたるかと、
 よい力試し、我こそはそを打倒さんと決心し、世界を統べるその民を、爾来白眼、
  以て注視を怠らず!……
 彼はアラビヤの山多き地方に生れた、彼は健やかに
 軟風(そよかぜ)の云ふを開けば、((これはこれはジュギュルタが孫!……))

つづく…。
GRAVITY
GRAVITY17
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 92

#ランボー詩集 #中原中也訳


音楽堂にて -2

 私は黙つてゐるのです。私はジツと眺めてる
 髪束が風情をあたへる彼女等の、白い頸(うなじ)。
 彼女等の、胴衣と華車(ちやち)な装飾(かざり)の下には、
 肩の曲線(カーブ)に打つづく聖らの背中があるのです。
 彼女等の靴も私はよく見ます、靴下だつてよく見ます。
 扨美しい熱もゆる、全身像を更めて、私は胸に描きます。
 彼女等私を嗤ひます、そして低声(こごえ)で話し合ふ。
 すると私は唇に、寄せ来る接唇(ベーゼ)を感じます。
             [一八七〇、八月〕
GRAVITY
GRAVITY16
新着
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 101[LAST]

#中原中也訳 #ランボー詩集


附録

失はれた毒薬(未発表詩)

 ブロンドとまた褐(かち)の夜々、
 思ひ出は、ああ、なくなつた、
 夏の綾織(レース)はなくなつた、
 手なれたネクタイ、なくなつた。

 露台(ワルゴン)の上に茶は月が、
 漏刻(ろうこく)が来て、のんでゆく。
 いかな思ひ出のいかな脣趾(くちあと)
 ああ、それさへものこつてゐない。 

 青の綿布の帷幕(とばりの隅に
 光れる、金の頭の針が
 睡つた大きい昆虫のやう。
 
 貴重な毒に浸された
 その細尖(ほさき)私に笑みまけてあれ、
 私の臨終にいりようである!





※ 本詩集の掲載は今回で終了します。
 最後までお付き合いくださりいいね👍を下さった皆様に、深謝します🙇‍♂️
GRAVITY
GRAVITY13
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 100

#ランボー詩集 #中原中也訳


 いたづら好きな女

 ワニスと果物の匂ひのする、
 褐色の食堂の中に、思ふ存分
 名も知れぬベルギー料理を皿に盛り、
 私はひどく大きい椅子に埋まつてゐた。
 食べながら、大時計(オルロージュ)の音を聞き、好い気持でジツとしてゐた。
 サツとばかりに料理場の扉(と)が開くと、
 女中が出て来た、何事だらう、
 とにかく下手な襟掛をして、ベルギー・レースを冠つてゐる。
 そして小さな顫へる指で、
 桃の肌へのその頬を絶えずさはつて、
 子供のやうなその口はとンがらせてゐる、

 彼女は幾つも私の近くに、皿を並べて私に媚びる。
 それからこんなに、──接唇(くちづけ)してくれと云はんばかりに──
 小さな声で、『ねえ、あたし頬に風邪引いちやつてよ……』

     シヤルルロワにて、一八七〇、十月。
GRAVITY
GRAVITY10
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 99

#ランボー詩集 #中原中也訳


 『皇帝万歳!』の叫び共に贏(か)ち得られたる 花々しきサアルブルックの捷利

 三十五サンチームにてシャルルロワで売つてゐる色鮮かな
               ベルギー絵草紙
 青や黄の、礼讃の中を皇帝は、
 燦たる馬に跨つて、厳しく進む、
 嬉しげだ、──今彼の眼には万事が可い、──
 残虐なることゼウスの如く、優しきこと慈父の如しか。

 下の方には、歩兵達、金色(こんじき)
の太鼓の近く
 赤色(せきしょく)の大砲(ほづつ)の近く、今し昼寝をしてゐたが、
 これからやをら起き上る。ピトウは上衣を着終つて、
 皇帝の方に振向いて、偉(おほ)いなる名に茫然自失(ぼんやり)してゐる。

 右方には、デュマネエが、シャスポー銃に凭(もた)れかゝり、
 丸刈の襟頸が、顫へわななくのを感じてゐる、
 そして、『皇帝万歳!』を唱へる。その隣りの男は押黙つてゐる。
 軍帽は恰(あたか)も黒い太陽だ!──その真ン中に、赤と青とで彩色された
 いと朴訥なボキヨンは、腹を突き出し、ドツカと立つて、
 後方部隊を前に出しながら、『何のためだ?……』と云つてるやうだ。

              [一八七〇、十月〕
GRAVITY
GRAVITY14
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 98

#ランボー詩集 #中原中也訳


キャバレ・ヹールにて

                午後の五時。

 五六日前から、私の靴は、路の小石にいたんでゐた、
 私は、シャルルロワに、帰つて来てゐた。
 キャバレ・ヹールでバタサンドヰッチと、ハムサンドヰッチを私は取つた、
 ハムの方は少し冷え過ぎてゐた。

 好い気持で、緑のテーブルの、下に脚を投出して、
 私は壁掛布の、いとも粗朴な絵を眺めてた。
 そこへ眼の活々とした、乳房の大きく発達した娘(こ)が
 ──とはいへ決していやらしくない!──
 
 にこにこしながら、バタサンドヰッチと、
 ハムサンドヰッチを色彩(いろどり)のある
 皿に盛つて運んで来たのだ。

 桃と白とのこもごものハムは韮の球根(たま)の香放ち、
 彼女はコップに、午後の陽をうけて
 金と輝くビールを注いだ。
  

              [一八七〇、十月〕
GRAVITY
GRAVITY12
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 97

#ランボー詩集 #中原中也訳


 シーザーの激怒

 蒼ざめた男、花咲く芝生の中を、
 黒衣を着け、葉巻咥(くは)へて歩いてゐる。
 蒼ざめた男はチュイルリの花を思ふ、
 曇つたその眼は、時々烈しい眼付をする。
 皇帝は、過ぐる二十年間の大饗宴に飽き〳〵してゐる。
 かねがね彼は思つてゐる、俺は自由を吹消さう、
 うまい具合に、臘燭のやうにと。
 自由が再び生れると、彼は全くがつかりしてゐた。

 彼は憑かれた。その結ばれた唇の上で、
 誰の名前が顫へてゐたか? 何を口惜しく思つてゐたか?
 誰にもそれは分らない、とまれ皇帝の眼は曇つてゐた。

 恐らくは眼鏡を掛けたあの教父、教父の事を恨んでゐた、
 ──サン・クルウの夕べ夕べに、かぼそい雲が流れるやう
 その葉巻から立ち昇る、煙にジツと眼を据ゑながら。
            [一八七〇、十月〕
GRAVITY
GRAVITY14
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 96

#ランボー詩集 #中原中也訳


災難

 霰弾(さんだん)の、赤い泡沫(しぶき)が、ひもすがら
 青空の果で、鳴つてゐる時、
 その霰弾を嘲笑(あざわら)つてゐる、王の近くで
 軍隊は、みるみるうちに崩れてゆく。

 狂気の沙汰が搗(つ)き砕き
 幾数万の人間の血ぬれの堆積(やま)を作る時、
 ──哀れな死者等は、自然よおまへの夏の中、草の中、歓喜の中、
 甞てこれらの人間を、作つたのもおゝ自然(おまへ)!──
 祭壇の、緞子(どんす)の上で香を焚き
 聖餐杯(せいさんはい)を前にして、笑つてゐるのは神様だ、
 ホザナの声に揺られて睡り、

 悩みにすくんだ母親達が、古い帽子のその下で
 泣きながら二スウ銅貨をハンケチの
 中から取り出し奉献する時、開眼するのは神様だ
              [一八七〇、十月〕
GRAVITY
GRAVITY12
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 95

#ランボー詩集 #中原中也訳


  冬の思ひ

 僕等冬には薔薇色の、車に乗つて行きませう    
     中には青のクッションが、一杯の。
 僕等仲良くするでせう。とりとめもない接唇の    
     巣はやはらかな車の隅々

 あなたは目をば閉ぢるでせう、窓から見える夕闇を    
     その顰(しか)め面を見まいとて、
 かの意地悪い異常さを、鬼畜の如き    
     愚民等を見まいとて。

 あなたは頬を引ツ掻かれたとおもふでせう。
 接唇が、ちよろりと、狂つた蜘蛛のやうに、
     あなたの頸を走るでせうから。

 あなたは僕に云ふでせう、『探して』と、頭かしげて、
 僕等蜘蛛奴(め)を探すには、随分時間がかかるでせう、    
   ──そいつは、よつぽど駆けまはるから。
       一八七〇、十月七日、車中にて。
GRAVITY
GRAVITY15
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 94

#ランボー詩集 #中原中也訳
  

物語

 Ⅰ

 人十七にもなるといふと、石や金ではありません。
 或る美しい夕べのこと、──灯火輝くカフヱーの
 ビールがなんだ、レモナードがなんだ
 ?──人はゆきます遊歩場、緑色濃き菩提樹の下。
 
 菩提樹のなんと薫ること、六月の佳い宵々に。 
 空気は大変甘くつて、瞼閉じたくなるくらゐ。
 程遠き街の響を運ぶ風
 葡萄の薫り、ビールの薫り。
 
 Ⅱ
 枝の彼方の暗い空
 小さな雲が浮かんでる、
 甘い顫(ふる)へに溶けもする、白い小さな
 悪い星奴(め)に螫(さ)されてる。

 六月の宵!……十七才!……人はほろ酔ひ陶然となる。
 血はさながらにシャンペンで、それは頭に上ります。
 人はさまよひ徘徊し、羽搏く接唇(くちづけ)感じます
 小さな小さな生き物の、羽搏く接唇……     
 
 Ⅲ
 のぼせた心はありとある、物語にまで拡散し、 
 折しも蒼い街灯の、明りの下を過ぎゆくは
 可愛いい可愛いい女の子
 彼女の恐い父親の、今日はゐないをいいことに。
 扨(さて)、君を、純心なりと見てとるや、
 小さな靴をちよこちよこと、
 彼女は忽ちやつて来て、
 ──すると貴君の唇(くち)の上(へ)の、単純旋律(カバチナ)やがて霧散する。

 ※
 貴君は恋の捕虜となり、八月の日も暑からず!
 貴君は恋の捕虜となり、貴君の恋歌は彼女を笑まし。
 貴君の友等は貴君を去るも、貴君関する所に非ず。
 ──さても彼女は或る夕べ、貴君に色よい手紙を呉れる。
 その宵、貴君はカフヱーに行き、
 ビールも飲めばレモナードも飲む……
 人十七にもなるといふと、遊歩場の
 菩提樹の味知るといふと、石や金ではありません。
          [一八七〇、九月二十三日〕
GRAVITY
GRAVITY14
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 93

#ランボー詩集 #中原中也訳


喜劇・三度の接唇

 彼女はひどく略装だつた、
 無鉄砲な大木は
 窓の硝子に葉や枝をぶツつけてゐた。
 意地悪さうに、乱暴に。
 
 私の大きい椅子に坐つて、
 半裸の彼女は、手を組んでゐた。
 床の上では嬉しげに
 小さな足が顫へてゐた。

 私は視てゐた、少々顔を蒼くして、
 灌木の茂みに秘む細かい光線が
 彼女の微笑や彼女の胸にとびまはるのを。
 薔薇の木に蠅が戯れるやうに、

 私は彼女の、柔かい踝(くるぶし)に接唇した、
 きまりわるげな長い笑ひを彼女はした、
 その笑ひは明るい顫音符(トリロ)のやうに
こぼれた、
 水晶の擢片(かけら)のやうであつた。
 小さな足はシュミーズの中に
 引ツ込んだ、『お邪魔でしよ!』
 甘つたれた最初の無作法、
 その笑は、罰する振りをする。

 かあいさうに、私の唇の下で羽搏(はばた)いてゐた
 彼女の双の眼、私はそおつと接唇けた。
 甘つたれて、彼女は後方に頭を反らし、
 『いいわよ』と云はんばかり!
 
 『ねえ、あたし一寸云ひたいことあつてよ……』
 私はなほも胸に接唇、
 彼女はけた〳〵笑ひ出した
 安心して、人の好い笑ひを……
 
 彼女はひどく略装だつた、
 無鉄砲な大木は
 窓の硝子に葉や枝をぶツつけてゐた
 意地悪さうに、乱暴に。

            [一八七〇、九月〕
GRAVITY
GRAVITY12
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 90

#ランボー詩集 #中原中也訳


ニイナを抑制するものは .3

 婆々(ババア)はゐてサ、燠(おき)前でヨ   
    糸紡ぐ──
 なんといろいろ見れるぢやねエかヨ、   
    この荒家(あばらや)の中ときた日にヤ、
 焚火が明アく、うすみつともねエ   
    窓の硝子を照らす時!

 紫丁香花(むらさきはしどい)咲いてる中の   
    こざつぱりした住居ぢや住居
 中ぢや騒ぎぢや
    愉快な騒ぎ……

 来なよ、来なつてば、愛してやらあ、   
    わるかあるめエ
 来なツたら来なよ、来せエしたらだ……      
 
    彼女曰く──
 だつて職業(しごと)はどうなンの?


           [一五、八、一八七〇〕
GRAVITY
GRAVITY14
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 89

#ランボー詩集 #中原中也訳


ニイナを抑制するものは .2

桃色調でヨ
 そこでおめへに俺は云はアな、   
    ──おい! とね、──おめへにヤ分らア
 
 森は樹液の匂ひでいつぱい、   
    おてんと様ア
 金糸でもつてヨ暗(くれ)エ血色の、森の夢なざ     
    ぐツと飲まアナ。
 
 日暮になつたら?……俺等(おいら)ア帰(けえ)らア、   
    ずうツとつゞいた白い路をヨ、
 ブラリブラリと道中(みちみち)草食ふ   
    羊みてエに。

 青草生(へ)エてる果物畑は、   
    しちくね曲つた林檎の樹が、
 遠方(ゑんぱう)からでも匂ふがやうに、     
    強エ匂ひをしてらアな!

 やんがて俺等は村に著く、   
    空が半分暗(くれ)エ頃、
 乳臭エ匂ひがしてゐようわサ   
    日暮の空気のそン中で、
 臭エ寝藁で一杯(いつぺエ)の、   
    牛小屋の匂いもするベエよ、
 ゆつくりゆつくり息を吐エてヨ   
    大ツきな背中ア

 薄明で白ウくみえてヨ、   
    向ふを見ればヨ
 牝牛がおつぴらに糞してらアな、
    歩きながらヨ。

 祖母(ババ)は眼鏡エかけ   
    長(なげ)エ鼻をヨ
 弥撒集(いのりぼん)に突ツ込み、鉛の箍(たが)の    
    ビールの壺はヨ
 
 大きなパイプで威張りくさつて
    突ン出た唇(くち)から煙を吐き吐き、
 しよつちう吐エてる奴等の前でヨ、   
    泡を吹いてら、

 突ン出た唇奴(くちら)等もつともつとと、   
    ハムに食ひ付き、
 火は手摺附(てすり)の寝台や   
    長持なんぞを照らし出してヨ、
  
 丸々太つてピカピカしてゐる   
    尻を持つてる腕白小僧は
 膝ついて、茶碗の中に突つ込みやがらア   
    その生ツ白(ちれ)エしやツ面(ツラ)を
 
 その面を、小せエ声してブツクサ呟く   
    も一人の小憎の鼻で撫でられ
 その小僧奴の丸(まアる)い面に   
    接唇とくらア、
 
 椅子の端ツこに黒くて赤(あけ)エ   
    恐ろし頭した
 婆々(ばばあ)はゐてサ、燠の前でヨ   

つづく…。
GRAVITY
GRAVITY15
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 88

#ランボー詩集 #中原中也訳


ニイナを抑制するものは      

     彼曰く──

 そなたが胸をばわが胸の上(へ)に、   
     そぢやないか、俺等(おひら)は行かうぜ、
 鼻ン腔アふくらましてヨ、   
    空ははればれ
 
 朝のお日様アおめへをうるほす   
    酒でねえかヨ……
 寒げな森が、血を出してらアな   
    恋しさ余つて、
 枝から緑の雫を垂れてヨ、   
    若芽出してら、
 それをみてれアおめへも俺も、   
    肉が顫はア。

 苜蓿ン中(うまごやし)おめへはブツ込む    
    長エ肩掛、
 大きな黒瞳のまはりが青味の
    聖なる別嬪、
 田舎の、恋する女ぢや
    おめへは、   
 
 何処へでもまるでシャンペンが泡吹くやうに   
    おめへは笑を撒き散らす、
 
 俺に笑へよ、酔つて暴れて
    おめへを抱かうぜ
 こオんな具合(ぐえイ)に、──立派な髪毛ぢや   
    嚥んでやらうゾ
 
 苺みてエなおめへの味をヨ、   
    肉の花ぢやよ
 泥棒みてエにおめへを掠める   
    風に笑へだ
 御苦労様にも、おめへを厭はす   
    野薔薇に笑へだ、
 殊には笑へだ、狂つた女子(あまつこ)、
    こちのひとへだ!……
 十七か! おめへは幸福(しヤはせ)、
    おゝ! 広(ひれ)エ草ツ原、
 素ツ晴らしい田舎!   
    ──話しなよ、もそつと寄つてサ……
 
 そなたが胸をばわが胸の上(え)にだ、   
話をしいしい
 ゆつくりゆかうぜ、大きな森の方サ   
   雨水の滝の方サ、
 死んぢまつた小娘みてエに、   
   息切らしてヨウ
 おめへは云ふだろ、抱いて行つてと   
   眼エ細くして。

 抱いてゆくともどきどきしてゐるおめへを抱いたら   
   小径の中へヨ、
 小鳥の奴めアゆつくり構へて、啼きくさるだろヨ
    榛(はしばみ)ン中で。

 口※中へヨ俺ァ話を、注ぎ込んでやら、    
    おめへのからだを
 締めてやらアな子供を寝かせる時みてエにヨウ、   
    おめへの血は酔ひ
 
 肌の下をヨ、青ウく流れる
    
つづく…。
GRAVITY
GRAVITY15
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 83

#ランボー詩集 #中原中也訳


オフェリア

 Ⅲ

 扨(さて)詩人奴(め)が云ふことに、星の光をたよりにて、
 嘗ておまへの摘んだ花を、夜毎おまへは探しに来ると。
 又彼は云ふ、流れの上に、長い面帕(かつぎ)に横たはり、
 真ツ白白(しろしろ)のオフェリアが、大きな百合かと漂つてゐたと。
           〔一八七〇、六月〕
GRAVITY
GRAVITY15
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 82

#ランボー詩集 #中原中也訳


オフェリア

 Ⅱ
 雪の如くも美しい、おゝ蒼ざめたオフェリアよ、
 さうだ、おまへは死んだのだ、暗い流れに運ばれて!
 それといふのもノルヱーの高い山から吹く風が
 おまへの耳にひそひそと酷い自由を吹込んだため。

 それといふのもおまへの髪毛に、押寄せた風の一吹が、
 おまへの夢みる心には、ただならぬ音とも聞こえたがため、
 それといふのも樹の嘆かひに、夜毎の闇の吐く溜息に、
 おまへの心は天地の声を、聞き落(もら)すこともなかつたゆゑに。

 それといふのも潮の音が、さても巨いな残喘(ざんぜん)のごと、
 情けにあつい子供のやうな、おまへの胸を痛めたがため。
 それといふのも四月の朝に、美々(びび)しい一人の蒼ざめた騎手、
 哀れな狂者がおまへの膝に、黙つて坐りにやつて来たため。
 
 何たる夢想ぞ、狂ひし女よ、天国、愛恋、自由とや、おゝ!
 おまへは雪の火に於るがごと、彼に心も打靡かせた。
 おまへの見事な幻想はおまへの誓ひを責めさいなんだ。
 ──そして無残な無限の奴は、おまへの瞳を震駭(びつくり)させた。
GRAVITY
GRAVITY14
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 81

#ランボー詩集 #中原中也訳


オフェリア     
 Ⅰ
 星眠る暗く静かな浪の上、
 蒼白のオフェリア漂ふ、大百合か、
 漂ふ、いともゆるやかに長き面帕(かつぎ)受けたに横たはり。
近くの森では鳴つてます鹿遂詰めし合図の笛。

 以来千年以上です真白の真白の妖怪の
 哀しい哀しいオフェリアが、其処な流れを過ぎてから。
 以来千年以上ですその恋ゆゑの狂ひ女(め)が
 そのロマンスを夕風に、呟いてから。
 風は彼女の胸を撫で、水にしづかにゆらめける 
 彼女の大きい面帕(かおざぬ)を花冠(くわくわん)のやうにひろげます。
 柳は慄へてその肩に熱い涙を落とします。
 夢みる大きな額の上に蘆(あし)が傾きかかります。
 
 傷つけられた睡蓮たちは彼女を囲繞(とりま)き溜息します。
 彼女は時々覚まします、睡つてゐる榛(はんぬき)の
 中の何かの塒をば、すると小さな羽ばたきがそこから逃れ
 て出てゆきます。
 不思議な一つの歌声が金の星から堕ちてきます。
GRAVITY
GRAVITY16
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 80

#ランボー詩集 #中原中也訳


太陽と肉体

 ※-2
 甕(かめ)に肘をば突きまして、若くて綺麗な男をば
 思つてゐるのはかのニンフ、波もて彼を抱締める……
 愛の微風は闇の中、通り過ぎます……
 さてもめでたい森の中、大樹々々の凄さの中に、
 立つてゐるのは物云はぬ大理石像、神々の、
 それの一つの御顔(おんかお)に鶯は塒(ねぐら)を作り、
 神々は耳傾けて、『人の子』と『終わりなき世』を案じ顔。
              [一八七〇、五月〕
GRAVITY
GRAVITY15
ミチフミ龍之介

ミチフミ龍之介

季節が流れる、城寨が見える  ♯ 79

#ランボー詩集 #中原中也訳


太陽と肉体

 ※
 
 おゝ偉大なるアリアドネ、おまへはおまへの悲しみを
 海に投げ棄てたのだつた、テエゼの船が
 陽に燦いて、去つてゆくのを眺めつつ、
 おゝ貞順なおまへであつた、闇が傷めたおまへであつた、
 黒い葡萄で縁取つた、金の車でリジアスが、
 驃※(へうかん)な虎や褐色の豹に牽かせてフリジアの
 野をあちこちとさまよつて、青い流に沿ひながら
 進んでゆけば仄暗い波も恥ぢ入るけはひです。
 牡牛ゼウスはイウロペの裸かの身をば頸にのせ、
 軽々とこそ揺すぶれば、波の中にて寒気する
 ゼウスの丈夫なその頸に、白い腕(かひな)をイウロペは掛け、
 ゼウスは彼女に送ります、悠然として秋波(ながしめ)を、
 彼女はやさしい蒼ざめた自分の頬をゼウスの顔に
 さしむけて眼を閉ぢて、彼女は死にます
 神聖な接唇(ベーゼ)の只中に、波は音をば立ててます
 その金色の泡沫(しはぶき)は、彼女の髪毛に花となる。
 夾竹桃と饒舌(おしやべり)な白蓮の間(あはひ)をすべりゆく
 夢みる大きい白鳥は、大変恋々(れんれん)してゐます、
 その真つ白の羽をもてレダを胸には抱締めます、
 さてヹニュス様のお通りです、
 めづらかな腰の丸みよ、反身(そりみ)になつて
 幅広の胸に黄金をはれがましくも、
 雪かと白いそのお腹には、まつ黒い苔が飾られて、
 ヘラクレス、この調練師(ならして)は誇りかに、
 獅の毛皮をゆたらかな五体に締めて、
 恐いうちにも優しい顔して、地平の方へと進みゆく!……
 おぼろに照らす夏の月の、月の光に照らされて 
 立つて夢みる裸身のもの
 丈長髪も金に染み蒼ざめ重き波をなす
 これぞ御存じアリアドネ、沈黙(しじま)の空を眺めゐる……
 苔も閃めく林間の空地の中の其処にして、
 肌も真白のセレネエは面帕なびくにまかせつつ、
 エンデミオンの足許に、怖づ怖づとして、
 蒼白い月の光のその中で一寸接唇(くちづけ)するのです……
 泉は遐(とほ)くで泣いてます うつとり和んで泣いてます……
 
つづく…。
GRAVITY
GRAVITY15
もっとみる
関連検索ワード