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こに
私たくさん言ったよね。
私の家族はそんなんじゃない。ご飯も服も靴も愛情も無条件じゃ絶対くれない。先生たちには当たり前にあったものは私にとってはぜんぜん当たり前じゃない。
相談してとか言うのにそもそも理解する気ぜんぜんなかったよね。そういう人間ばっかなんだなって、私たくさん学んだよ。ねえ!先生♡
ご飯が当たり前にあるって前提の話をされた時、先生が憎くて、羨ましくて、絶望感いっぱいで、仕方がなかったんだ。
全く同じのを味わってほしいとは思わないけど、
そういう人もいるってことわかってほしかった。
#親子愛 #先生
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🌈ホークの嫁💍
小学2年と3年の時担任だったT子先生がお亡くなりになった(;;)
今じゃ地元にひとりで住んでる母と仲良しさんだったのに🏠
亡くなる前に、母に柿を100個くらいくれて、母はそれを干し柿にしていた🍊
先日の連休に帰省した時母から「T子先生がくれた柿食べる?」って干し柿を冷凍庫から出てきた…。
きっと余生を分かってて母に柿を託したのかなぁ。。
大好きだったT子先生に会えるのはまだまだ先になりそうだけど、いつかまた会いたいなぁ♡
「〇子ちゃんは可愛いから白雪姫ね♡」って、私を主役に選んでくれたのも、今でも嬉しい思い出だよ、先生[照れる]
半解凍くらいにして食べた干し柿は優しい味がした(*´艸`)
干し柿まだたくさんある( * ॑꒳ ॑*)
しばらくは先生の思い出に浸れそう(о´∀`о)


LK
演繹という過程を踏むことで意見・思想の発展に繋げやすい。時に感情すら書き換えられる。演繹とはAが正しいならBであるというもの。Aは正しいか?Cと仮定できれば正しい。などと考えれば何が自分にとって無条件で信じられるか/信じたいかという自己理解にも繋がる。
最初の質問は、今持っている常識や知識を吟味し条件付けてから論理展開をするという癖がある人はどれほどいるだろうということでもある。自分という偏りが避けられない媒体を通して情報発信をする中で、条件や前提を明確にする必要性は全員が理解するべきだと思う。個人個人は違うのだから、どういった過程でその思考/結論に至ったのかは価値観の擦り合わせに必須。解釈の余地が存在するグループディスカッションは一番身近な例だろうか。
演繹を経るとどこから疑おうか、改革しようかという目処が立ちやすい。自分はAがあったから悲しい、何故?この部分が逆行推論、ただAだったからBのはずという論理は基本成り立たない。寝不足の理由を一つに定めるのが難しいようなもの。だからいくつかの候補を考えて自然な演繹で繋げられるかどうか繰り返す。この過程は機械学習に似ている。A→Bと直接繋げる必要はない、A→D→H→C→Bと出来るのが今の機械学習には難しいとされる一方で人間が出来る強みなのだからやる気があるだけ考えればいいと思うのだ。
ということで演繹的な思考と逆行推論についての意見でした。

ともか

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ジュリアン
住んでる近くに子供食堂ないかな?日本で体験する話しじゃないよ。海外だとざらにある、夜に食い物別けてくれませんか?てピンポンしてきます。