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なあ
日々の忙しさから解放されると
「生きる」ことがただ単に寿命が尽きるまでの暇つぶしに思えてならない
本当の孤独って
誰にも存在を認めてもらえず
確かに生きていたはずなのに
その痕跡は全くなかったように忘れられる
そのスピードが早ければ早いほど孤独なのかもしれない
だからこそ、
人は人と関わっていろんな感情を受け
いろんな体験や経験をし
いろんな景色を見て
時には家族や恋人に恵まれて
時を共にする
確かに私は生きているのだと、
この世に声鳴き声を轟かせたいのかもしれない
「時間」を意識することは大切なようで
「時間」を意識しすぎて生きることは
孤独を生み出すことなのかもね
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T.B
【和多志の捉える「現実」と「鏡の法則」】
⑴現実とは?
今、この瞬間にしか存在しない、一度きりの「今」。
だが、和多志の内にも外にも「和多志」はある。
それはまるで鏡のように、現実と心が映し合うもの。
現実を動かすための鍵は、次の三つのステップ。
1. 理想を描く(どんな現実を創りたいのか明確にする)
2. 計画する(より具体的に、実現への道筋を描く)
3. 叶えた自分を演じる(現実が折れ、夢が形になるまで)
和多志が信じ続け、行動し続けたとき、現実は和多志の意志に従う。
⑵鏡の法則:内と外
鏡には二つの側面がある。
1.内なる鏡(時間や心を映す)
心の在り方が現実を創る。
内にある「見えないもの」—意識、思考、感情—が、外の世界に反映される。
だからこそ、和多志の心が整えば、現実もまた整う。
2.外なる鏡(人間関係を映す)
人との関係もまた和多志の姿を映し出す。
誰かの自尊心を傷つければ、自らも傷つく。
和多志が与えるものこそが、巡り巡って和多志に還ってくる。
和多志が誰かの幸せを願い、共に満たされる道を選ぶなら、
その調和の中にこそ、本当の豊かさが生まれる。
⑶「誰が得をするのか?」
和多志にとっての利益とは、「和多志たち」が幸せであること。
仲間が微笑むなら、それが和多志の得。
家族が満たされるなら、それが和多志の得。
和多志は「一人」ではない。
和多志の願いは、和多志たちの願いと共鳴する。
そしてその共鳴が、現実を動かし、未来を創る。



最高位人権道徳者
私にはもうこの世に友と呼べる存在がいない

なー
人は、結局ひとりだと思います。
誰かと共に生きることはできるけど、
死ぬときはひとりです。

⭐️
何事もなく過ぎているようでも実は周りの人はみんなそれを指摘できず我慢しているだけでストレスがひどく、いつ辞めようなんて思ってる
朝の挨拶が全くできない人もいるし何かやってくれたことに対して「ありがとうございます」の感謝の言葉が言えない人もいる
そんな小さなことがいつしか不満を作りギスギスした人間関係の元になる
自分も周りも誰も幸せじゃない
この世界、家庭でも社会でも友人関係でも、そんなことがあちこちで起きてる
誰かが我慢してなければ争いの元になるような行為が
なぜかな?
地球にはたーーくさんの人々が一緒に暮らしてる
そのほんの一握りの人が、あなたの周りに一緒にいる
その人たちの自由や個性の表れや喜びや幸せを思い描いて、あなたができることをしてあげると、あなたの周りには幸せな空間があちこちに生まれてくる
幸せはどこからかやってくるんじゃない
あなたが自分の愛を込めてあなたの周りを気遣い、他の人の自由な人生を尊重し、自分の考えだけを押し付けないようにして生きることで、あなたも、あなたの周りも争いの思いから解放されて、共に優しい気持ちの中で生きることができる
それができるのは、あなたが自分だけが良ければいい、自分の考えだけが正しいという思いを振り返り『そうだ、みんなだって私と同じように考えや生き方を持っているんだ』と思うことから始まる
心の争いは、互いに自分のことだけを主張したり優先したり、時には正しさを押し通したりすることからも生み出される
目の前にいる人との縁の大切さを忘れ、出会ったみんなで幸せになるという大切なことを忘れてしまう
争いは、争いの元となる思いを一人一人が行いとして表していることで起きてくる
「自分だけが正しい」と、あなた以外の人も同じようにう思っていても間違いではないし、おかしいことでもない
あなたがそれをどこまで受け入れて尊重できるのか、相手も自分と同じように考えられるのかにかかってくる

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