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あきら
子供の写真を頻繁に更新してきて。
彼がSNS嫌いだから全部やめた私を上回って
更新したくなる女性と出会ったんだな、
今めっちゃ幸せなんだろうなって、
考えるほど私の努力が無駄になってる気がして
辛くなってくる、、、
友達ぜーんぶ消した私。若かったなぁ。
ちゃんと自分の人生を生きよう👊🏻
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ともくりん
スッキリした。
相方(夫)は強烈なんか持ってそうだが
いいところは、
ハッキリ指摘して文句言うと
それに応えようと誠心誠意なんとかしようと
自分自身で自分を変えていくところ。
今まで誰も本気で相方を心配して
叱咤激励してくれる人がいなかったのだろう。
マリッジブルーになって家に放火した元嫁1とか!
ご自身のことでいっぱいで多分相方のそういうところはどうでも良くて見捨てて太い実家帰った元嫁2とか。
人間の関係とは面白いもので
同じ程度の人が近寄ってくる。
だから自分が変われば
寄ってくる人も変わる。
そう言うと
相方は50社受けて
ダメな会社から待遇も給与もいい会社へ
上がれることができた。
楽しそうという思想だけでダメ会社へ行こうとしたが指摘したら選択を変えていた。
相方の人生は相方のものだ。
私が強制するものではない。
私は努力して頑張って生きてきた。
だからそういう人達が集まってくる。
友達もね。
嫌だと思えば
同じ程度の人を見つければいい。
というと、いつも「嫌だよ!」という。
相方のピンチはいつも私が助けてきた。
ほんとはお母さんの仕事です。
うちには子供は余分に要りません
だからいつでも離婚届書いてあげるから
離れていいですと言ってある。
私はハッキリしてるので
他人が言わない真実も相方にはハッキリ言う。
(身内以外には言いません)
辛辣に言うけど
それに応えるべくついてくる相方は
凄いなと思います。
そういうわけで
配偶者としてうちにいるわけです。
彼氏としてとか
休みの日にデートする相手として
見るならば最高なんだけどね。
いつか家長として公的にも我が家としても
現在は私だがその屍を乗り越え
素敵と誰もが惚れる男になって欲しいと
思っております。
頑張れ相方!

ダーツマスターののち

回答数 164>>
私なら大好きになれた気持ちも大切にして、他に楽しめることを見つける努力をするかな♡

ざきと
ダメ男彼氏に依存してた子がやっと離れられた時の話を聞いた。
恋愛に関わらず人間関係全般に言える内容で、とても為になった。
期待する事で人は無駄な努力さえ出来るらしい。
期待できない事で人は諦める事が出来るらしい。
有ることにも慣れるけど、無いことにも慣れるんだって。
諦める事に慣れた時にやっと寂しさとか依存とかもなくなるらしい。
もういいやって思えるまでずっと諦めた気持ちでいるのは辛いけど、ある一定を超えた時には急に気持ちが切り替わるんだって。
寂しいも辛いも何も解消されない事を受け入れた時、一方通行を受け入れた時。
歩み寄る努力してるから、これでダメならもういいやって思える瞬間だったんだって。
男性から見たら急に変わったように見えるんだろうけど、実は全然急じゃないってやつね。
多分女性によくある特有の感情の切り替えだよね。
これは分かる気がする。
良い状態もずっとは続かないけど、
寂しい状態も続かないから大丈夫だよって。
期待か諦めかどっちかには必ず気持ちが倒れるからって。
期待に倒れた時は無意味な努力でも苦じゃないし、
諦めに倒れた時は寂しさも無くなって相手を必要としなくなる。
倒れ切るまでの間に足掻こうとするのが1番辛いんだって。
……なるほど確かにっ!!
良く考えたら当たり前な事なんだけど、
結局人間関係てお互いに歩み寄れないと、
一方通行じゃ継続難しいよね。
他人と歩み寄る時って、自分には無い感覚にも歩み寄らなきゃだから難しいけど、関わっていたいと思う相手には必須だよね。
今まで心身疲労してきた友達が言うと、より深いや。
現状でダメ男彼氏に依存して悩んでる友達もいるから、今度この話してみよう!!

怪盗おにぎりむすめ
人生は当たり前に不条理で、努力しなきゃならなくて、努力したから認められるとは限らない。
でも、人生の責任は当たり前に親でも他人でもなく自分にあって。
命なんて、容易く消えてしまうのに重たくて。
だから、苦しさにもがく人を見かけると放っておけなくて。
身近な子供たちを見ると、それぞれが一瞬でも多く笑っていて欲しくて。
誰かを育てるのも癒すのも、誰かから何かをしてもらうことじゃない。
一緒に笑うこと、一緒に頑張ること、一緒に話し合うこと。答えが無いこともあることも放り投げず、考えていくこと。諦めないこと。
子供だって大人だって、自分が無価値だと思って苦しいひとだって、無力なひとだって、「ありがとう」と言われたら、嬉しいことを改めてわたしは学んだ。
一人暮らしで、学生や子供たち、聴こえない大人も子供も関わってからは自然と笑ってありがとうと言葉にできた。
ごめんなさい、じゃなくて、ありがとうと。
やってあげることが慢性化したら、それは誰かの努力を奪うこと。
いつか外されるハシゴでしかないこと。
母は自己満の中で生きて、無責任で今を回そうとしていることを突きつけると泣き出す。
じゃあどうしたらいいの?!と 考えることを諦め、誰かに押し付ける。
提案に対して試しもせずに、考えず自己満の中にいることを選ぶひと。
いつあ外れるハシゴを前に、その時に考えればいいと無責任なひと。
それでも可哀想なわたしの母だから。
わたしが寄り添って、考えることをわたしは諦めないよ。
きっとわたしは、いつまでも。
悲しみと憎しみを抱えたまま、母を捨てられないのだろう。
でもそれは、血が繋がった母娘だからじゃない。
目の前にいる、もがき苦しむひとを足蹴にできないだけだ。
苦しいけれど、やっぱり離れて憎むだけよりも。
ずっとずっと、可哀想なこのひとを心配していたのだから良しとする。

ゆかり
でももっと良い人きっといるんじゃないかってそう信じたい気持ちもあって、よくわからない
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