投稿

aki
『農業がエリアという概念を生み出し、戦争を連れてきた』
戦争は文明を呼び、誰が強くて誰が弱っているかの情報を重要視するようになった
それが大体、今日までそのままの形で受け継がれてきた。
誰が強くてどこに行けば安全か、誰が弱くてどこからなら搾取できるか。
だれなら優しくて、甘えられるか。
宗教とか芸術は、一回一回、その流れに疑問とブレーキを提案してきた。
ほんとうにきみ、それでいいの?と。
現代は、スマホを見れば人は不安になるようになった。
不安になった人は、購買するようになった。
そのために働いてお金を稼ぐようになった、、、そのために働く?
もともとそんなことどうでもよかったはず。
僕らがたとえば6歳の頃、「よし、大人になったら、お金を稼いで老後までに二千万ぐらい稼いで、ある程度癌になっても、ある程度日本が貧乏になっても、火災保険や保険料や車のローンや冷蔵庫の買い替えやエアコンの修理の資金のために困らないようにしよう!」という切り口で考える子はいなかったはず笑
(よほどFPに興味のある子でなければ)
コメント
関連検索ワード
aki 投稿者
続き1 みんなが、数千年前に人類が自ら陥ってしまったループの上で、多かれ少なかれ、その軌道の上で順繰り順繰りに生きているだけ。 だとしたら、音楽聴いて、このギターの音いいね、とか、ドラムのグルーブ感やばいね!とか、カレーライス食べて、このじゃがいもうまいね!とか、生牡蠣と白ワイン最高だねとか、もう一切、一切必要なくなってしまう。
aki 投稿者
続き3 目には目をという概念は、もう野蛮だからやめようよと、後の新約聖書でキリストによって否定されたのです。2000年前に。 いまさら抜粋するべきことではなくて、こういう歴史があったから、もう2度と繰り返してはいけないから、あえて旧約聖書に書いてあるだけなのです。 みんな、美味しいものを食べるべき。 みんな、いい音楽を聴くべき。 それによって、争いをしたり、罵り合ったり、しなければいいだけ。
aki 投稿者
続き4 『どんな苦しい思いをした人でも、なんでもやっていい権利というのは、やはりないのです』というのは、アウシュビッツから生還した心理学者の言葉。 6歳の頃、何をしたかったかな。 俺は地元路線のロマンスカーの運転手になりたかった笑 もちろん、収入のことも、選挙のことも、温暖化のことも、アウシュビッツも、戦争も、さんま不漁も米不足もエアコンの水漏れも、全くこれっぽっちも考えてなかった
aki 投稿者
続き2 いいよ音楽なんて、AIで安く作ってよ。カレーライスも、美味しいお店行く必要ないよ。 そんな悲しいこと、ないよ。 それって、すごく矛盾してるのよ。 もともと美味しいものを計画的に食べたくて農業を始めた人類は、巡り巡って、美味しいものを捨て始めた。 みんなと仲良くしたくて、ある程度だいたいみんなこう思うよね、で知恵を振り絞って取りまとめた聖書は、そのごく一部分だけを抜き出して戦争の大義にされてしまう。