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しゅ-と
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イノアキ
展示会も良かったですが、その他のギャラリーの展示品も素晴らしく観て歩きながら涙が出てきました。もっと前から行くべきだった。
美術館とは違い、現代の生活や文化に繋がる過去の建築物、装飾品、道具等の実物を観ることができるのは貴重な体験です。
今更ながら歴史を学び直したいと思いました。








社会不適合者

大福
古代から、プーリア州のイトリア渓谷周辺では石灰岩台地を利用した家造りが行われてきた。まず、大地から四角い石灰岩ブロックが切り出され、円や長方形に並べて二重の壁を築き、壁から円錐形や半球形・ピラミッド形の二重の屋根が架けられた。二重の壁の間にはレンガが挟み込まれており、ブロック製の暖炉やオーブンなども設置された。屋根の石材は薄く、これを何層にもわたって少しずつ内側に張り出させて円錐形に仕上げている。いわゆるコーベル・ドーム(コーベル・アーチ=持送りアーチを回転させたドーム)だ。
壁は漆喰で白く塗られる一方、屋根はそのままで、日が経つにつれて屋根にはコケや地衣類が生え、紫外線の影響を受けて灰色に黒ずんでいく。中には屋根に白く宗教的なシンボルを描いたり、頂点に特徴的なピナクル(ゴシック様式の小尖塔)を備えた家もある。地下の穴は貯水槽として利用され、水は屋根に設けられた水路を通して地下に送られる。
最大の特徴は、ひとつの屋根に対してひとつの部屋しかない点で、内部はカーテンなどで仕切られた。また、セメント(石灰石や軽石・ 粘土などを粉状に砕いたもの)やモルタル(セメントに水と砂を加えて練り混ぜたもの)といった接合剤を使用しない乾式工法である点も独特だ。
こうしたトゥルッロはイトリア渓谷に広く見られるが、アルベロベッロのモンティ地区に1,030戸、アイア・ピッコロ地区に590戸とそのほとんどが集中している。これは14世紀半ば、十字軍での活躍を認められたコンヴェルサーノ伯がターラント公からこの土地を封ぜられてからのことで、農民を呼び寄せてこれらの地区にトゥルッロを築かせ、荘園として整備した。特に17世紀前半、ジャン・ジローラモ・ギュルツィオの時代に町は大きく発展し。18世紀後半には人口3,500人を超えた。

ベルスメル

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もも
②ロンドン 歴史を感じる旅をしたい!
③カンクン 現実逃避したい!
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