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しゅ-と

回答数 422>>
生きている内に答えは出ないと思うから
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あむ
たぶん?きっとね、これに関しては答えなんてないと思うよ
自分の中の自分が〝これが生きる意味だな!〟って思うことを実行すればいいと思うよ

アザーハーフ
明日のことは誰でも不確かだ。なんなら数秒先だって保証はない。
つまり人生とはなんら保証が無いわけで、正解もない。
もっと言えば果たして生きているか死んでいるかどうかだって概念であり、現実には不確かなのだから、人生に意味など求めても無意味だ。
だからこそ、今考えられる最善を選択してゆくことが、唯一の納得出来る術なのである。
それが出来ることの全て。

🐾たびたび🐾
これ、まぁよく言われるのが『無数に答えがある』とか、『生きる意味はない』
の2つ。
以下の視点の違いで分かれてると思うんだけど、
・何故生きるのか
・どのように生きるのか
私は『どのように生きるのか』という視点を推してる。
昔、この生きる意味について考えたのは、
『すべてがFになる』に登場する犀川創平先生の言葉からだったよ。
文体とかは忘れたけど、私にはとても刺さったよ。
『生きることに理由なんてない。理由を求めること自体が無意味だ』という言葉で考えたのがきっかけかな。
例えばだけど、1+1=2
という数式があったとして、『なぜ』を問い掛けるのは無意味だよね。理由は無数に考えられるし、問い掛ける場合はもっと別の要因が絡む時だと思う。(殺人事件現場に残された、1+1=2 とか)
無数に考えられるなら、意味は無いに等しいよ。
そうすると、『どのように』という問い掛けが、人生に対してのシンプルな問い掛けじゃないかな。
うまくすれば人生は数式自体もいじれる可能性あるし建設的だね。

はたけ
だが、そうした問いを胸に抱きながらも、人類は長い歴史を生き抜いてきた。その原動力はどこにあるのか。意味もなければ目的もない世界の中で、人はなお足を止めることをしなかった。そこで一つの結論にたどり着く。もしかすると、「生きる意味」というものは、もともと存在しないのではないか。あるいは、神やシステム管理者がいるとしても、それはただ私たちを眺めるだけで、何も教えてはくれない存在だと。
ならばどうするのか。ここで、ある種の「奇跡」が浮かび上がる。人は意味がないと知りながらも、そこに意味を生み出す術を持っているのだ。農夫が大地に種を蒔くように、商人が街の雑踏に市場を拓くように、私たちは「なにもない場所」に「意味」を創り出し続けてきた。そして、その行為そのものが、私たちをこの世界に縛りつけ、未来を夢見る力を与えている。
つまり、「生きる意味」という問いは、答えを持たぬ問いではない。答えは問いそのものの中にあるのだ。人がその問いを抱き続ける限り、その過程の中で、答えのようなものが次第に形を成してゆく。それは、神でもシステム管理者でもなく、まぎれもない「自分」という存在が生み出すものだ。
そして、ふと思う。意味など本来はなかったのに、それを作り出してきた我々の歩みこそが、歴史の伏線なのではないか、と。そう考えると、過去も未来も、そしてこの瞬間も、すべてが愛おしく思えてくるのである。

みー

回答数 280>>
それだけで人生終わる
生きることに答えなんかないからね?

꒰ঌ 🎸𝓾𝓣𝓞🎸໒꒱

回答数 264>>
または、自分の夢を追い求めるため?

大幸P

回答数 280>>
自分が楽しい事を出来るだけすれば良し。
生きてる意味なんて、正しい答えなんて無いから考えてもしょうがない。
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コメント