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ねこ
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直感で自分の心が踊るもの、もっと集めていこー(*ᐛ و(و "♬
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ミーちゃん🌟
1917年生まれ
33歳にして没
このCDは告別コンサートと呼ばれ、そのピアニストの最期のコンサートを撮ったものである。
実はこのコンサートは彼の終わりだと観衆ですら気がついていたと言うのだから1950年に亡くなる2年ほど前から体調が悪くなり、1番調子が良かったロンドンのコンサートは録音失敗。病気になって1番良かった時に撮ったものとほぼ同じ内容である、と聞いた。
で、その時にたったの2ヶ月効いていただけの高額の注射を彼に送るためにファンや仲間達が寄付をしていて随分集まったようだが、2ヶ月過ぎると意味がなくなって彼はまた悪い状態に陥る。
今日はよく出てくるクララ・ハスキルだが、彼が完璧な演奏をした曲を演奏できないと生涯拒み続けたのだが、彼女は彼の師匠コルトーの姉弟子であり、彼はミスターパーフェクトっぷりを姉弟子に見せつけている。
さて、このアルバムだがこれの2ヶ月後に彼は亡くなるのだが、健康的に最悪な状況で告別コンサートは開かれた。
奥さんの証言を聞くと
息ができない状態
でこれだけの曲、かなり多く20曲以上をよく演奏できたものだとしか言えない。
彼の短い生涯にまたがってしまったあの戦争がなかったら、もう少し録音資料は残っていたのではないかと思われて仕方がない。
音楽を学んでいた時から彼はミスターパーフェクトでビューティフルだった。
何でも弾けて間違いもほぼなかったのに、このアルバムでは完璧は無理だったようだが、遺言という意味では十分である。
私はシューベルトも元から好きだったのだが、いい作品を最期に入れてくれてありがとうといいたい。
夫婦2人で戦い続けた人生(第二次世界大戦含む)だったが、彼はピアニスト以前の問題としてピアノがあればそれで良かった人なのかもしれない。
だから皆が反対したあの状況での告別コンサートを決行できたのではないかと思う。
ピアノがあれば私は弾く。
最後の一曲は欠けたが、代わりに
バッハの主よ人の望みの喜びよ
を弾いたそうだが真偽は不明である。
で、コルトー一門、死に方が可哀想な方々が多い。このディヌ・リパッティ、姉弟子クララ・ハスキルも電車のプラットフォームから落下、それから1日して亡くなったという今では医療過誤では無いかと疑われてもおかしくない様な亡くなり方をしている。
天国でもピアニストとして活躍して欲しい方だ。


目ばちこ
AHOめっちゃええんちゃう?
Powerに続いてめっちゃ好みやけど💡

はちろ
ふたりごと世代はわかってくれるはず!
おらの青春が!!!
#RADWIMPS
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