共感で繋がるSNS
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キムチ

キムチ

中学生の顔整いが一番人生楽しそう
だって全員が多感で一番ギクシャクしてる時期に顔面強いってだけで色んな恩恵受けれて
優位に立ちやすいじゃん
大人の社会より子供の社会の方が容姿差別とか残酷だと思う
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いお

いお

「鬱は大人のたしなみですよ。それぐらいの感受性を持ってる人じゃないと、俺は友達になりたくないから。こんな腐った世の中では少々気が滅入らないと。社会はおかしい、政治は腐ってる、人間の信頼関係は崩壊してる、不安になる。正常でいるほうが難しいですよ。」
リリー・フランキーさんの言葉だそう✨🌹
#心理学 #メンタルヘルス
公認心理士めざしています✨
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EREN

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多分フラモンさんもわかってるから怒るし無視したんだと思う。自分達がわしに何のメリットもない人間だって事。一瞬で他人のおじさんとおばさんに変わってしまった。そりゃ話しかけにくいよ。マジで見た目だけの話するときついし。自分は容姿差別する気はないが、あんな顔面でよく他人に偉そうにできるよなくらいは思う。自分より容姿の悪い人なら偉そうにしていい、って事とも違うけど、その自己肯定感どっからくるんていう。
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k(CV:五ェ門)

k(CV:五ェ門)

SNSでは、よく、未成年などの年若いユーザーから、壮年、中高年ユーザーを煙たがる発言がなされる。
あからさまな生理的嫌悪感をにじませながら。

その心情も理解できる。
ただし、その嫌悪感というものは、将来の自分に向けられたものでもあって、
「ああはなってはいけない」
という戒めとして意識されるものでなければならない。
それは、とどのつまり、今の自分の振舞いもまた、一過性のものでしかなく、やがては卒業するはずの"今しか許されぬ痴態"ということだ。

何も自省を否定しようというのではない。
一口にSNSと言っても、その役割、機能は様々であり、そのうちの何を念頭に語っているのかを明らかにせねば、話も噛み合わなくなる。

現実世界の代わりの居場所としての(広義の)仮想空間に入り浸れば、その分、現実世界で過ごす時間は失われることだろう。

思索家として生きるのであれば、それも良い。
自分の人生の大半を思索に費やすのだと覚悟しているのであれば。自己の主体的な行為として。それならば、前述の自省にも通じる。

しかし、日々、汗を流して田畑を耕し、髪を振り乱して赤子を育てる。
そんな、当たり前の生活を送る人々が、その傍らで、目の前の現実から離れ、仮想空間に入り浸ることが、果たしてできようか。
また、入り浸って、一体、何を成そうというのか。
作物も子どもも、ここでは育てられない。

その責任を放棄する姿への嫌悪感。
それが、冒頭に述べたものだと、私は理解している。

"優しいSNS"などとの口上を良く見聞きしてきた。
正直、今ではもう、いい加減、うんざりしている。

青い鳥を探して、ここではないどこかへ彷徨い続けても、見つかるものではない。

優しい社会を求めるならば、まずは、己が優しくあらねば。
そして、それを求める場所、実現すべき場所は、逃げ場としての仮想空間の中ではないはずだ。

桃源郷ならば、頭の中で楽しんでおけばいい。
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bg

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参加する立場からしたら「成人式」なんてものには一切の興味はなく、何をやるかも知らなかったけど、のちに地元の同級生が集められると聞いて、出なくて良かったと思った。

年齢や出身地、学校や、同時期に組織に所属し始めた「同期」などという括りで、その仲間に入ることにはいまもって無関心であるが、かといって悪い思い出や人間関係に問題があるわけではない。たんに同類で群れるのを好まないだけで、仮に放り込まれたらそれなりにコミュニケーションを図る自信はある。

もちろん、何かしらの式典なりに参加したい意思は尊重するし、親とすれば子の成長に万感胸に迫るものがあるのもよく分かる。特に女性なら晴着に憧れるのも、かわいらしくけっこうなことだと受け止める。

大人と呼ばれるようになってから幾星霜。子供と違って成長や何かの区切りとなる「通過儀礼」がなくなることに気がつく。そして子供と呼ばれる時期が、人生のほんの一瞬であるということにも。

「だから子供の時期は素晴らしい」とは、しかし思わないようにしている。「大人こそ素晴らしい」、そう胸を張っていたい。

そういった言葉を、社会的に新たに大人と認められたひとたち、つまり新成人に熱弁しても、どこまで伝わるかは疑わしい。口ではどうとでも言え、実践するのはそれなりに難しいことを、既に彼ら彼女らは知っている。

先達の大人たちが、めいめいの人生を精一杯生きていれば、わざわざ式典で挨拶を聞く必要もない。大人とは、背中でものを語る人間だということを、我々は肝に銘じなければならない。

襟を正すべきは、新成人ではなく、その他多くの大人たちの方ではないだろうか。と自問自答する日が成人の日である。

#成人式
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ぬん

ぬん

接客とか道誘導とかで男の人に「お母さん」とか「おかあちゃん」とかよばれることあるんだよね
男の人の年齢はバラバラ

じーさん産んだおぼえないし、にーちゃんも産んだ覚えないんだわ

あとこないだ接客されたときに一緒にいた連れは親子程も年齢離れてない友人なんだわ

女性からはこういう呼ばれ方したことほぼないんよね

別に自分のこと若いのに!💢とか思ってないけどなーんか不快なんよね

知らない人に妙に上から目線の馴れ馴れしさ押し付けられてる気持ちというか

わたし自身は若い頃に飲み屋の女性店主に一言「この店におばちゃんはいないから誰も返事しないわよ」的指導いれられてからはそういう呼び方しないように気をつけるようになっただけなんだけどね
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