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ところてんのすけ
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マサヤス龍之介
#神保町
☆『我が青春神保町 .13』
神保町交差点からJR水道橋駅までの所謂、白山通りは靖国通りが神保町古書店街のメインストリートなのに対し、サブストリート的存在である。
私の様な、中古レコ屋目当ての人種にしてみたら、こちらこそ最重要通りである。
昭和初期創業の富士レコード社の支店である「レコード社」が水道橋駅までの白山通りの中間地点、マツモトキヨシの向かいに鎮座する。
富士レコード社で探してどうしても無いものがこちらに行けばあるやもしれないと、期待を持たせるからだ。若き日に就職した会社に嫌気が差して、一度履歴書持参で面談しに行ったことがある。その時、担当してくれたI氏は私が関東に居た2020年4月までは少なくとも、在社していて、元気に店番をしていた姿が確認できた。その向かいにあったのがTONYレコードで、私の神保町中古レコ屋の根城だった。
創業者の西島経雄さんは平成22年(2010年)7月に逝去された。この方の温容な人柄に魅せられてTONY通いをする常連は数知れぬであろう。小生もそんな数多の常連客の1人に過ぎなかった。この店はトラッド好きのオーナー、西島さんの全てが、凝縮されたサロンであり、小生はBix Beiderbecke、或いはLester YoungそしてBunny Berigan、Eddie Condon、Django Reinhardtなどなど、興味を持ったトラッド系ジャズのアナログ盤を求めて、兎に角日参した。TONYレコードはビルの3階まで店舗と事務所で、西島夫人はご主人が在店している間は3階のオフィスで仕事をされていた様だが、たまには2階のマニアが集う鰻の寝床のフロアで店番をしていることもまゝあった。
1階は大抵バイトや下働きの若そうな店員、時折女子も居たりしたが、トラッドやジャズに限らずニューミュージックや演歌など1階ならではの汎用品がおしなべて幅広く並べられていたが、我々コアなジャズマニアは真っ直ぐ2階に直行したものだ。Benny Goodmanのサイドメン時代の音源だけを収めた米国Sun Beam社のシリーズは常に揃えられていた。そう、西島さんは紅井良男(ベニイグッドマン)と云う異名を取るほどの、ベニー好きだった。
つづく…。







I Can't Get Started

Stupid
世界🌎でもっとも哀しい声の持ち主…
「ここでも…そっち…何処でも…見覚えのある景色がある…それを見て…アンタを想い出してしまう…忘れられたら…いいのに…幸せだった日々…俺には…涙の十字架しかない…どうしても…アンタが、夢に出てくる…想い出してしまう」概ねこんな感じ…




Memories of You

うみニキ

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左0G拡張トラガス1ヘリックス2
右ヘリックス1

星

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ジェパード(スタレ)
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もももももめめめめち

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