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ハーロック

回答数 3>>
ただ、だから自分の正義を押しつける、ではなく、やはり議論をすることに意義があると僕は考えます
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まさむね
「人による」だの「時と場合による」という意見が多く見られる
その前に友情とはなんぞや、を定義づける必要もある
性の対象として見るのか否か
特定の個人を指して「性の対象として見れない異性の友達がいるから男女の友情は成立する」とした場合、これは結果的に「人による」になるのではなかろうか
この議題においては「人による」という結論を避けるために特定の個人を指すのではなく不特定多数の人間(異性同性関係なく)は性の対象となるか否かで考えた方が良いのではないだろうか
個人的には同性を性の対象にすることはほぼないので同性の友達はなり得るが、異性は性の対象になる得るので男女の友情は成立しない派
そもそも人によるだの時と場合による、という回答がある以上は議論になってないし議題として意味がないと思う

琴音(コトネン)
"結果が全て"
試行錯誤の上で野心を持って向き合ってたつもり。
その上で、台無しにされたら後悔しか残らない。
以前の私は『赦さないことで、次に進む推進力にして切り捨ててきた』時期が長いです。
自分の正しさの意義に自信を積み重ね、懸命にやっていた(つもり)。当時はね
[ロケット]『無意味』『無価値』『切り捨て(名目)』
結論から言うと、"学んでいたつもり"になってたことに気がつけなかった。
それは、【罪悪感.嫌悪感】によって影響していたことも当時は分からない。
なんなら『正義感』という信念の素にして判断していた。そう在りたかったから。
私は…正義を搾取していた。
なぜなら、他者に認めさせるための【証明】にエネルギーを注いでいたから。
"相手の為"と称した、私の正当化のための正義だったことを痛感した。
⟡.·*.··············································⟡.·*.
[惑星]ならばこそ、だからこそ
この状況を変えたいのであれば、相手を変える前に自分が変わる。
変わりたいと思った分だけ変えることができるから。
相手が変われないし変わらないのは、"護っていることがある"過去の怖い体験や、遺伝性の基質もあったりする。(私はあった)
できないことよりも、できることできたところを先ず意識して自信にしていく。
そのできることが増えてきたからこそ、できないことを払うことに取り掛かる。
無意味、無価値にしてきたことがあっただけ。
#アウトプット





ぶん
フェミニズムの歴史と、現代の"声の大きな人達"との向き合い方が分かる動画でした。
自分の正義がある人、よく誰かと議論する人に取って、学ぶ点が多い内容だと思います。
お手隙の際にぜひ!!!!


💩ぽぺちょまる💩
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