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ハーロック
ひとが腹を立てるのはどんな時か
そう考えた時に思いつくのは
自分が辛い
自分が苦しい
自分が悲しい
だから、怒りが湧いてくる
という場面が多いように感じます
では、満たされたり幸せだと思ったりするのはどんな時かと考えた場合
必ずしも主体が自分ではない事がわかります
例えば
テレビで初めてのおつかい、とかを見た時ですね
幼い子供らが一生懸命おつかいに行く姿を見て、ハラハラドキドキしながらも、幸せな気持ちになります
おつかいをしているのは子供であって、自分ではありません
これは、人間は他人の行動からも幸せを感じる事ができるという事実を示しています
要するに、怒りは自分を主体とする場面が多いということですね
なぜそうなるのか
僕が思うのは、怒った時に視点が近くなるからではないか、ということです
ひとは窮地に陥った時に、視界が狭まります
目の前直近を見て、ピンチを脱するためですね
太古の昔、野生の獣に襲われたりした時は、その答えで合っています
ですが、時代は変わりました
今、日常生活で野生の獣に襲われる場面はほとんどありません
人間の進化が時代に追いついていないのかもしれない
そう感じます
だから、怒りを感じた時に、少し冷静に考えた方がよい
その怒りは間違っていないか、視野を広げて客観的に自分を見るのです
怒るなと言っているわけではありません
正しく怒る必要がある、ということですね
要は、怒った先の落とし所はどこか、ということです
これがわかっていないと
例えば、何も解決していないのに、わめくだけわめいてスッキリした、だからいいや、とかになりますね
僕には意味がわからない
感情的に生きるのが悪い、とは言いませんが
やはり、切れるひととかを見ていたら、視野が狭いと感じざるをえません
後に後悔をしないように生きたいものです
さて、次の週末はどこに行こうかな
あなたの街は、どこですか?
#希望 #アンガーマネジメント
コメント
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kazu
おはよ〜🥰☕️💞
マシャ
余裕がない時ですね[照れる] 人間としても必要な感情なんでしょうけど、落とし所が難しいですよね[照れる]
えり
怒りのコントロール、私には相当難しいようです。怒りという感情があったから、今生きているようなものなので😅 今の職場には慇懃無礼な人・かなり性格が悪い人・何らかの障害がありそうな人がいて、デリカシーのない言葉にいつもイラッとさせられてます(´・ω・`) なるべくかわしてますが、結構辛いです😅