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森おもち
意味があるのかないのかは
分からないけどね
一つだけ言えるなら
人は意味を付けたがる生き物だ
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みゅんひ
わしら人間のココロというものは、モトというエネルギー源のようなツブツブが集まってできてまして、コレが足りなくなるとネガティブな気持ちになる、だから増やしてやるとアガるよー!というのが『モトの話』です。覚えてますか?初めて読む方、はじめまして😁
前回「人生の意味はコレだ!」なんて書いたんやけど、これを読んでいる方の多くは
「人生の意味なんて人それぞれだから、答えも人それぞれ」
と思っていらっしゃるでしょうね😅
それはその通りなんやけど、現状わしらが「生き物」であって、かつ「生きている状態であること」については、全員が完全に同じ条件のはずです。でしょ?😉
モトの話が導き出す『答え』というのは、この部分についてなんですよ。だから、この『人生とは何か?の答え』の上に「人それぞれの経験」が乗っかってるわけです。
せやから、人生というものは「人それぞれ」ではあるものの、その「人それぞれ」はたった一つの
『命というシステム』
の上で成り立っていることになります。
こういった考え方のもと、人生における「人それぞれ」の部分のことを、モトの話では
【個別のドラマ】
と呼んでいます。『人生とは何か?』という問いに「万人共通の答え」を求めるならば、この【個別のドラマ】について考えても仕方ない、だってそこは人それぞれだから、というわけです😁
今日はここまで!また明日ね!!🥰
#おやモト


はたけ
だが、そうした問いを胸に抱きながらも、人類は長い歴史を生き抜いてきた。その原動力はどこにあるのか。意味もなければ目的もない世界の中で、人はなお足を止めることをしなかった。そこで一つの結論にたどり着く。もしかすると、「生きる意味」というものは、もともと存在しないのではないか。あるいは、神やシステム管理者がいるとしても、それはただ私たちを眺めるだけで、何も教えてはくれない存在だと。
ならばどうするのか。ここで、ある種の「奇跡」が浮かび上がる。人は意味がないと知りながらも、そこに意味を生み出す術を持っているのだ。農夫が大地に種を蒔くように、商人が街の雑踏に市場を拓くように、私たちは「なにもない場所」に「意味」を創り出し続けてきた。そして、その行為そのものが、私たちをこの世界に縛りつけ、未来を夢見る力を与えている。
つまり、「生きる意味」という問いは、答えを持たぬ問いではない。答えは問いそのものの中にあるのだ。人がその問いを抱き続ける限り、その過程の中で、答えのようなものが次第に形を成してゆく。それは、神でもシステム管理者でもなく、まぎれもない「自分」という存在が生み出すものだ。
そして、ふと思う。意味など本来はなかったのに、それを作り出してきた我々の歩みこそが、歴史の伏線なのではないか、と。そう考えると、過去も未来も、そしてこの瞬間も、すべてが愛おしく思えてくるのである。

ねこ
ホントになんの為に生きてるのかも分からないケド、死ぬまでにどれだけの思いをするのだろう。

イーサン
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