投稿

へっぽこ
…芭蕉だったか山頭火

関連する投稿をみつける

Nin





かもんぬさん。
芭蕉小路


創世記のガングリオン
「世の人の見付けぬ花や軒(のき)の栗」
ある宿場の近くに、大きな栗の木の木陰を利用して庵を作り、世間との付き合いを避けて暮らす僧がいた。世俗の名利を追う人間には、ひっそりと咲く黄白色の栗の花の価値は分からない。しかし、清貧に生きる脱俗の人、庵の主人は、栗の木を好んだ行基と同じ想いを花に託したに違いない。世俗的な欲望をすべて断ち切り、厳しい自己否定を乗り越えて、遁世(とんせい)した庵の主人こそ、真の自由人であると、芭蕉は評価した。


太郎さん
日本で俳句という形式を作った正岡子規は写生、つまり物をよく見てそれを言葉に移すと説いた。しかし、いま私が芭蕉に私淑して思うことは、芭蕉が二つ以上の風景を利用していることだ。荒海や佐渡によこたふ天の川、はその好例だと思う。「荒海」「佐渡」「天の川」という相関性のある写生を三つ使っていると考えてもいいと思う。われわれも二つ以上のシーンを持つ俳句の可能性が拓けてくる。
Learning to Write Haiku from Basho 2
Masaoka Shiki, who created the haiku form in Japan, taught us to sketch, that is, to look at an object closely and transfer it into words. However, what I now see in Basho, as a personal admirer, is his use of more than one landscape. “rough sea /and the Milky Way /on Sado Island” are good examples of this. We can think of Basho as using three correlated sketches: " rough sea” "Sado," and " Milky Way”. This opens up the possibility of haiku with more than one scene.

もっとみる 
関連検索ワード
コメント