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へっぽこ
彼は「いまから五年後には、日本人の半数以上が、この製品を使うことになるんだ。だからいまから一緒にがんばろうよ!」と、喫茶ルノアールで僕に熱弁をふるっていた。
彼は真面目な人間で、散財するのは中古レコードくらいの男だった。数年に一度、イギリスに行って中古レコード店を巡り歩くのが彼の生き甲斐だった。
そんな彼が突然豹変して、周りにネットワークビジネスの話を片っ端からしまくって、当たり前のように周りからどんどん孤立していく姿を見て、悲しかった。
一度、彼の両親から連絡があって、「連絡が取れないから高田馬場の部屋を見て来てほしい」と言われたのが、もう四年も前になる。高田馬場の比較的きれいなアパートに夜に行ってみると、彼の部屋に電気がついていた。でも、部屋のチャイムを鳴らすと、フッと灯りが消え、いくら呼びかけても返事は返ってこなかった。僕は玄関の前で電話をかけたが、出る様子はない。ただ、扉の向こうから、小さく呼び出し音がずっと聞こえていた。
彼が「日本人の半数以上が……」といってから、五年どころか六年が経った。もちろん日本人の半数が使うような製品にはなっていない。というか日本もアメリカもカメルーンも使ってない。彼のそれからの動向もまったくわからない。
地元に帰った時、年老いた彼の母親から一度、「あのときは、わざわざ部屋まで行ってくれてありがとうね」と挨拶をされたがあった。彼とは音信不通だと、そのときに聞いた。彼から借りっぱなしになってしまった漫画が幾つかある。いつか返せる日が来て欲しい
#GRAVITY日記

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なお
と、話すのは
私の高校時代からの友人で、大晦日の夜にLINEをくれました
彼女のことが心配になり、すぐに電話して
30分くらい話したのかな
『やっと決めた』
と、話す彼女の決意は固いものだろう
何故、こうも...
馬鹿なんだろうか(男がね)
嫁も子も生活する圏内で
せめてね...
今夜寒くない?
何かすごく寒い
#ひとりごとのようなもの
#GRAVITY日記


KENT
今日は節分ということで
丸山の梅園天満宮へ参拝させて頂きました
節分の時はここ梅園天満宮に参拝を初めて20年が経ちました
長崎市の企画イベントで2004年〜2006年の間に度々ここの境内で寸劇をさせて頂いたご縁で翌年の節分から参拝を続けております
この天満宮は江戸時代に日本三代花街であった長崎丸山の芸妓さん達が芸の精進を祈願した由来があり演劇人としてこの境内で寸劇をさせて頂いたご縁を授かった感謝の念も込めて毎年自身の芸道の精進を祈願させて頂いております
お参り後に開催中の長崎ランタンフェスティバルの各会場をぐるっと回ってナイトウォーキングもしてまいりました
やはりランタンの灯りが点る夜の方が断然艶やかで美しいですな....
#節分祭
#神社
#長崎ランタンフェスティバル
#GRAVITY日記
#日日是好日










ひだまり
たくさんの料理を用意してみんなでするビンゴ大会の景品用意してくれて元日生まれの姪っ子のケーキも買ってくれてた年老いたうちの両親
いつも本当に感謝してる…けど母の様子が変だった
深夜母が熱を出して元日朝から病院に行ったらコロナだって…
準備してくれてた年越し蕎麦もお餅も姉と姪っ子とわたしで仕上げてみんなにふるまって
母は部屋でずっと寝てました
透析をしてるわたしにうつさないようにと周りのみんなも当人の母も気を遣ってくれてたけど
わたしはもっとお母さんの顔を見ていたかった
年に1度か2度、ほんの短い時間しか会えない母なのに、どうしてこのタイミングでコロナに感染させたんだ
家を出るとき母に挨拶したけど立ち上がってくれた姿を見たら大泣きしてしまいました
2日、地元の病院で透析をして今度は主人の実家へ
1泊して埼玉に帰る予定なのに…今のビジホにいます
主人が義父とケンカをして「もう帰る」と夜遅くに「帰るから準備して」
玄関で止める義母と義姉とわたしは泣いてたけどそれでも主人の気持ちは収まらず…縁を切ると告げて家をでました
今回帰ってこなきゃよかったのかな
どちらの実家でもわたしは泣いていた
年老いた父や母になにを返せるのか考えているのにいつもなにもできない
主人にももっと自分の父母と仲良くしてほしい
どんな事を言われてもそれは優しさの裏返しだって思ってほしい
今年初めの帰省は悲しい気持ちになることが多かったけど
明日今の生活する場所に帰り明後日から仕事が始まり頑張るしかない日々に戻ります
生きるしかない
それしか今できることがない


きずあり
すべての皮肉屋の内側には、失望した理想主義者がいる
Inside every cynical person, there is a disappointed idealist.
George Carlin、投稿者訳
前回の続き
弟の人物像と姪に起きた異変の当初の様子を昨日迄に買いた
私は弟からの断片的な情報をなるべく正しく時系列に思い出そうとしてるが、彼ら両親ともに多大に反省することは思い当たるとも聞いている
言い換えれば、何が理由なのか、決定的なことはわかってない
例えばピアノに熱心になったことが、即座に精神の不調に繋がるとは判断出来ない
ピアノ以外にも、学校や学習塾での習熟は大変優秀だったそうで、当時の両親は末はどこそこへと、そのままならばお受験難関コースへ向かってたと弟は告白してた
苦悩する弟に、以前私の周りで不登校になったお子さんを持つ、複数の親御さんがいた時に調べて記憶に残っていたことを話した
「子どもが産まれた時は、健康でさえあればと多かれ少なかれ願ったことでしょう。親はまずはそれを思い出しましょう。」
気休めにしかならないが、心構えとしては悪くないと思う
それからしばらくの後、弟の海外赴任が決まった
家族会議の中身は聞いていないが、姪の不登校も環境が変われば、との一縷の期待で単身ではなく家族三人で海外に転居することになった
転居後も、たまに来る連絡や、年に一度程度の弟の出張の形での帰国時などにその後の様子を聞いてきた
日本人学校に騙し騙し通ってはいるらしく、日本にいた時よりは状況は改善してるらしい
ただし、依然、容態には山谷もあり、学校を休んだり、早退する都度、またか、という気分になり、現地の限られた日本人による診療者がいうことを鵜呑みする奥さんへの不満を口にした
「診察して症名をつけるだけで、解決策を提示出来ないから、レッテルを貼ってるだけ」
現地の診療についても不満を言う
「そんな「役立たずの診療」がこう言ったから、と丸投げし、親としての工夫も努力もしていない」
うまくいかない不満は母親にも向かってる
そんな経緯で、先週、弟から、唐突なLINEがまた来た
続く(いつまで?)
#GeorgeCarlin


✨琥珀(コハク)✨
彼は思春期に私に告白してくれたけど、その時は私に好きな人がいて、長い間音信不通だったけど40代で再会して。その時も恋仲になりかけたけど、結局糸が引き合う事はなくて、今は良い友人。
お互いの両親も知っているから、介護の事や仕事の事、子供達の事を気を遣わずに話せる、良き友人。
去年の大変だった事を話すと、そんなドラマみたいな展開があるんだ、それにしても男運が悪過ぎる、と笑われる[大泣き]
私も何故か深刻に慰められるより、笑ってくれて良かったって思った。
#GRAVITY日記
#食べることができる幸せ
#ひとりごとのようなもの







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