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aki୨୧⑅*.

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まふまふ

れみ
トルストイの思想に心酔する秘書役のジェームズマカヴォイ、現実をみて迷ったり揺れたり。若くて真っ直ぐな彼に感嘆のため息、眼福に浸る。

シュレ猫
トルストイが言ってましたよ。

⛳️九十九🏌️♂️
トルストイ

Ace

回答数 135>>
トルストイ原作、
映画「吸血鬼ブルダラック」でも
そう描いてる

lask
そしてその主観的には、人に何かを求めるなら相応の礼節があるべきだという考えが根底に染みついている。
それ自体は間違いではない。実際、誰かから何かをしてもらうならば、感謝と謙虚が必要だ。
しかしそれは、近い条件下に生きている相手にのみ通用する理屈なのだ。
そういう余裕が持てるような環境で生きてきた人間特有の、言葉が強くなるがある種の傲慢でもある。
その余裕すら持てないような現実を生きる事を強いられている人々にまで、強要できるできるものではないのだ。
そこを突いているのだと思うんだよ、トルストイの例の言葉は。

小さな放浪者
猛獣から追い逃れて、旅人は水の涸れた古井戸の中へ駆け込んだ。が、彼はその井戸の底に、彼を一呑みにしようと思って大きな口をあけている一匹の龍を発見した。
そこでこの不幸な旅人は、怒り狂える猛獣に命を奪われたくなかったので、外へ這い出る事も出きず、さればと言って、龍に食われたくもなかったので、底へ降りて行く事も出きず、仕方がなくて、中途の隙間に生えている野生の灌木の枝につかまって、そこに辛うじて身を支えた。
が、彼の手は弱ってきた。で彼は、井戸の上下に自分を待っている滅亡に、間もなく身を委ねなければならない事を感知した。それでも彼はつかまっていた。
とその所へさらに、黒と白の二匹の鼠がちょろちょろと齧り始めたのである。もうじき灌木はぶつりと切れて崩壞し、彼は龍の口へ落ちてしまうに違いない。旅人はそれを見た。そして自分の滅亡が避け難いものであるのを知った。
が、しかも彼は、そこへぶら下がっているその僅かの間に、自分の周囲を見廻して、灌木の葉に甘い蜜のついているのを見出すと、いきなりそれを舌に受けて、ぴちゃりぴちゃりと舐めるのである。
―私もこの旅人のように、私を牙にかけようと思って待ち構えている死の龍の避け難い事を知らないのだ。私もまた今まで自分を慰めてくれた蜜を舐めてみる。が、その蜜はもうこの私を喜ばせてくれない。
そして白と黒との二匹の鼠は、日夜の別なく、私のつかまっている生の小枝をがりがりと齧じる。私はまざまざと龍の姿をまのあたり見ている。そして蜜ももう私には甘くないのである。私の見るのはただ一つ、避け難い龍と鼠だけである、そして私は彼等から目を外らす事が出来ないのだ。
しかもこれは決して単なる作り話ではない。これは真実の、論じ合う余地のない、全ての人の知っている真理なのだ。
レフ・トルストイ 著『懺悔』
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