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ももンガ🦔
人生って、、、数年後を予測できない。
まさかの連続!
でも、見えない何かに引っ張られているように進んでいく。
今が上にいるのか、下にいるのかそれすらも、見えないままに。。
それは、1本のネジが外れても、動かなくなる機械のように、、すべてが複雑かつ必要に絡み合っている世界のよう。。
きっと、今の一瞬が掛けても、同じところにはいけなかった!
始まりの地点から少しずつ角度を変えてそれぞれが別な点へ向かって進んでいく。
期待と不安に着飾って、たくさん持っている人がより美しく!うらやましく!!眺めながら。
でも、そう感じれる対象がいることできっと頑張れる!!!
そして、どこまでも飛んでいける。
ふと、我に返り、一体、何を目指しているのだろうと問いかける。一瞬一秒で、未来が変わるこの世界で。。。
そんな思いすらも手放せたら、良いのだろうか。。。
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みつ。
きっと誰にも分からない不可思議

しーちゃん
みんなはさ、
なんのために・誰のために生きてるの?
#学生 #ひとりごとのようなもの

ゆい

rpanda 𓃠
「季節は次々死んでいく」
「僕が死のうと思ったのは」
この2曲はネガティブな歌詞にも
関わらず、ポジティブな希望が
軸となっている。
西洋音楽では古くから特定の音の
動きに意味を持たせていた。
上昇することをアナバシス。
下降することをカタバシスと呼ぶ。
アナバシスは上昇することで、
ポジティブな意味合いを持ち
カタバシスは下降していくことで
悲しみなどネガティブな意味合いを持つ。
Amazarashiのこの2曲はタイトルや
一部の歌詞で「死」が意識されることで
一見ネガティブに感じさせるが、
それと相反して、音楽自体の基軸は
アナバシスである。
寧ろそれはアセンションという
上昇しながら苦しみから解放される
キリスト教における救済の概念に
当てはまる。
従って2曲とも最後には
救われるのだ。
この世を去りたくなるほどの
悲しみを抱えながら、最後は
どちらも生きる希望を見出している。
「季節は次々死んでいく」では
時間が経過して最後は次々と生き返るし、
「僕が死のうと思ったのは」では最後に
笑顔が素敵な彼女にこの世の未来に
明るい兆しを感じるのである。
現実の人生はろくでもない、と
拒絶しつつ、だけど人は時間を
かけたり恋して人がひとを
信じることで傷を癒してまた
1歩が踏み出せる。
即ちそれは人生への肯定である。
#amazarashi
#人生って
#恋する惑星

僕が死のうと思ったのは

カナちゃん
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