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いづる氏
😎🤟✍️

はるま

Alice
問題は理論

Sara

イッヌ
やる気のなさの上にあるこんくらいはしとくか…の脱力頑張りだった

マサヤス龍之介
#読書の星
☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店
1975年にリリースされたシティポップの古典の中に鈴木茂のソロデビューアルバム『BAND WAGON』がある。はっぴいえんどのギタリストとして活動していた時はまだ高校生だった。なので、はっぴいえんどが解散となった時には流石に血迷ったらしい。鈴木にしたらはっぴいえんどで初めてレコーディングを知り、曲も初めて書いた。さー、これからだ、という時に細野と大瀧の確執でバンド解散の憂き目に遭ってしまう。鈴木にしたらはっぴいえんどありきの音楽活動だったからだ。途方に暮れた鈴木だったがギタリストとしての天才性を認めていた細野と行動を共にすることにより自己のアイデンティティをどうにか保っていた。やがて細野が結成したキャラメルママ~ティン・パン・アレーという不確実性なバンドで頭角を現してレコーディング時にも調整室で誰よりも強く仕切る存在となっていた。だが、鈴木本人は他アーティストのバッキングに明け暮れる仕事にフラストレーションを感じていたのも事実で、鈴木は「もう一度ロックに戻ろうと云う気持ち」で単身ロスに乗り込み、はっぴいえんどのロス録音のときにコーディネートをしてくれたシンコーミュージックのロス支部に居たキャシーカイザーと云う女性マネージャーに再びミュージシャンのブッキングを依頼した。鈴木は、ティンパンのメンバーにも相談せずに、レコード会社のクラウン側のスタッフ調達の配慮も断り、正に単身で乗り込んだのだった。
当初キャシーに希望のミュージシャンを提示して凡ゆる準備をしてロスに着いてキャシーと合流すると全くメンバーが集まらない…とお手上げ状態だったと云う。10日間は何もする事なくイタズラに時間だけが過ぎてゆく。するとキャシーの女性友達のキコと云う人物から、電話がありサンタナのダグローチとコンタクトが取れたから直ぐに電話して!と連絡があった。
全てはココから歯車が動き出したと云う。
サンフランシスコにあるダグの自宅で打ち合わせを行い、セッションをすると互いに"面白い"と云うことになりその後は実にスムーズに事が進んで行ったと云う。ロスレコーディングに漕ぎ着けた鈴木のファーストアルバムは豪華な布陣がバッキングメンバーに名を連ねる。
この♫砂の女 では実質バンドのリーダーを務めたサンタナのベーシスト、ダグローチ 他のメンバーは専らこのダグの親交から集められた。
ドラムスにはタワーオブパワーからデビッドガルバルディ、そしてキーボード奏者はジャズ系ピアニストのドングルーシンと言った腕利き揃い。
鈴木のギターと唄声にも自然とグルーヴィーさが派生している。
その他の楽曲にもスライのドラマー、グレッグエリコやリトルフィートのキーボーディスト、ビルペインと言ったビッグネームがスケジュールの合間に次々と参加、超ハイブロウなアルバムとなった。そして作詞については当然の流れで松本に国際電話で字数とリズムを伝え頼み込んで書いてもらった。松本は後に「僕はもう当時作詞家としてヒットも出ていて実績もあったんだけど、少し屈折していて…これで、いいのかな?…ってまだ迷いがあった。やはり畑が違うから単身赴任してる感じで居心地が悪くてさ。そんな時に茂からこの話が来てすごい救いになった。♬砂の女 や
♬100ワットの恋人 みたいな詞が書けて凄い救われたんだよね。」
続


砂の女 (2008-Special Edition-Unedited Long Version)
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ムム
どうしよう…DMはしてるけど、、、
こんなことならタブレットにLINE入れとくんだった😭😭😭😭

さっち


êcho𓇢𓆸
お釈迦様の化身とも言われていて、吉報の前ぶれなんですって
なんてぶつぶつ言いながら、巨大グモと戦いました
でかすぎた、速すぎた
怖かった怖かった...🕷

音(おと)🎧🌏🐾
娘は原因不明の腹痛。。。。
お医者さんもうーん、何だろうねーと、、
お薬も整腸剤と解熱剤をもらって、
なんだかんだ、娘も安心して落ち着いてます。
熱も落ち着くといいなぁ
診断に呆気を取られたけど
大事に至らなくて
とりあえず、よかったーーε-(´∀`;)ホッ
夜は心配と看病で眠れなかったwww
安心したら
眠くなったので、しばし寝ます!
お休みなさい

a-ya
よろしくお願いします!ヽ(*´∀`)ノ
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