投稿

みやび
昔私の父親は実家付近で湧いていた湧水をタンクに汲んで彼の親族や知人にその水を渡していた。
相手が使い切ったタンクを回収し、そのタンクで再度水を汲む。
父は水代やその運搬費として駄賃を貰うことがあった(特に父方の祖母から)。父親は何のためらいも無くそれを受け取っていた。
私はその光景を目撃して半ば取引交換のようだと思った。何故ならその部分だけを切り取って観察すれば水と労働が定量化されているからだ。
しかし他の場面を見れば金銭を受け取ることがあまり無く、水をあげる/タンクを回収するという贈与交換じみた事象の方が多い。またある親族からはお菓子や果物を返礼されることもあった。
D・グレーバーの理論を借りるとすれば父親はあの時「信用→貨幣→物々交換」という状態が成立していたと言えるかもしれない。父は水やその労働を安易に定量化せず、単なる善意で動いており、親族や知人の信用をつけていた。その証が水またはタンクなのだろう。貨幣の場合父方の祖母がその駄賃として支払われ、物々交換では親族からもらったお菓子や果物がそれに当たる。
私の父はそのことを知って行っていたのか私が帰省するまで分からないが、グレーバーの理論を実践していたと客観的に捉えられる。
私の父は今その湧水の付近に住んでおらず、遠い場所へ引っ越している。彼が未だその習慣を続けているのだろうか。またその行為をしていた理由/動機を私が帰省する間聞いてみたいと思う。
質問はもう決めてある。
「水運び、まだやってるの?」
コメント
関連検索ワード
カリスマっぽいインテリ
水に限らず善意で行動して催促はしないけどお礼をくれる人からは貰ってるだけじゃん