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プリン
フォロワー様以外は見えなくなって3日目です。SB中は、心の清浄化のためのお部屋掃除の報告だけにとどめようと考えたのに、なぜか余計にハッスルして森羅万象への愛についてまで論述してしまっていますね。
今日は昨日のコメント欄に書いたお宮さんの存続について再掲します。大きな街はどこでも商業施設と住宅で埋め尽くされていますが、どんな町にもなぜか大木のある森のようなスポットが点在していて、それは大抵が神社です。多くのお宮さんは千数百年という歴史があり、御神木も樹齢数百年と言うものが珍しくありません。
一方日本社会はと言うと一戸建ては前の人の住んだ家には住めないので、35歳で購入して75歳で更地になる。40年住んだら壊す。街も道もどんどん変わる。木と紙の文化だから石の文化の欧米に比べて歴史の重みに欠ける、なんて批判する人もいるぐらい。そんな何もかもコロコロ変えてしまう日本社会は、家も街も道も変わる。イギリスの地方都市などでは住宅も500年ほど前のものを大切に使い、街の地図はロマン派時代の古文書が使えると言うのに。
日本はそれぐらい入れ替わりが早い国。それなのになぜだかお宮さんだけ頑なに守り抜くんです。ホントあれだけ、あれだけは守り抜くんです。場所はもとより植えた木も切らず建築様式も絶対に変えず、どこでも千数100年守り抜きます。それほど人々には神々への深い信仰心があるでしょうか?正直欧米イスラム教徒に比べるとその「表面的信仰心」は質、量とも圧倒的に希薄だと思います。欧米人はすぐあー私の神さまと口癖で言う。イスラム教では全員1日5回のお祈りを欠かさない。皆生半可な祈りではありません。トリップ寸前まで落とし込むものすごい祈りです。一方日本では、神さまと言えば周り全員が怖がって逃げ惑うから普段の会話では絶対の禁句です。お祈りは隠れるようにこっそりやらないといけない。お宮さんでもみんな目を伏せて悪いことをしにきたようにお祈りにこられる。
そんな日本で、神社が移転したりなくなってしまう気配がない。私には日本人のカラダによる信仰だけでこれを頑なに守り抜いて来たとは思えないのです。(続く)
今日は10年かけた著作物捨てようとしたけれど、さすがに無理で画像みたいに倒れ込んでしまいました。諦めて本棚に入れました。どうせ最後は産廃トラックなのにね。コメント欄へ


コメント
プリン 投稿者
それで、出て来た知人の結婚式の招待状を捨てました。
プリン 投稿者
中身を見ずに段ボールごとぽい〜と捨てれば、すぐ終わるの。でもそれをしないで、ひとつづつゆっくりと執着と向き合っているんです。
hiyoko
確かに容赦なく街をガシガシ変えてしまうこの日本で、神社だけは残っているのは不思議ですね。信仰深さも表面的ですし、なぜなんでしょう?? 政治的な理由は大いにありそうですが、そこに凄む神様の力も働いているのかなとか、我々祈る側の要素よりも、元々鎮座されている神様のパワーなるものが強く、シールドがはられているから手を出すにも必ず弊害が起きるとかかなと、そっちの方に考えてしまいます。 もしそこに手を入れたら国ごととんでもないことになりそうです。 なので、もっと心から森羅万象への理解を深められる民族になれば良いのに現実は逆行しているなと感じます。
塵芥
考えてみたら神社と仏閣がたくさんあるのは不思議だよね? 神様と仏様は喧嘩しないの?[冷や汗]