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なかまち
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って訳
議題
「世界の事象を突き詰めた先に法則が存在しない場合、それはどの程度あり得るのか。また、完全にランダムな世界を想像することへの恐怖についてどう考えるか。」
1. 完全なランダムの怖さ
• 視点: 世界に法則がないと仮定すると、安定性や予測可能性が失われ、未来を理解・計画する基盤が崩れるため、不安を感じる。
• 補足: 人間は「秩序や法則性を見つける」ことで安心感を得ているため、法則がない状態は直感的に受け入れがたい。
2. 法則が存在しない可能性について
• 現代科学では、ランダムに見える現象も多くは「確率的法則」に従っている。
例: 量子力学では電子の振る舞いは確率的だが、確率自体がルールに従っている。
• 完全にランダムな世界は、現在の科学の前提では非常に考えにくい。
考えられるシナリオ
1. 人間が観測・理解できない法則が存在する
観測技術や思考の限界を超えた法則がある可能性。
2. 確率的法則が宇宙全体を支配している
世界は一見ランダムでも、大規模な確率的秩序に従っている。
3. 法則が本当に存在しない(完全なランダム)
現在の科学の根底を覆す可能性があるが、証明は難しい。
3. 「法則がない」のナンセンス性
• 法則がない状態を仮定するには、その「ない」状態自体を定義する必要がある。しかし、その定義の過程が「法則」の存在を前提にしている。
• 結論: 法則の存在を否定すること自体が矛盾しており、「完全にランダム」という状態自体が非現実的と考えられる。
4. ユーザーの結論
• どこまでも「観測できない法則」を疑う思考の末、「法則がない状態を仮定すること自体がナンセンスである」という回答に至った。
このまとめが使いやすいと良いのですが、追加や修正の希望があれば教えてください!

九竜
原点の神、九竜は幼少の頃から羯帝の住処、死海へと足を踏み入れて来た。黒竜というのが当初の原点の神の名前だった。私達が原点の神を呼ぶ時は皆、親しみを込めて黒竜と呼ぶ。自分は当初の黒竜との出会いから片時も離れたことは無い。ずっと黒竜と共に在り続けて来た。私はずっと自分は救われてはいけない。自分が行き着く先は地獄、地獄へと落ちて地獄の劫火に焼かれるのが相応しいと思っていた。救われることは無いと。それだけ沢山の未来ある万物の生命の命を奪い終焉をもたらせて来た。母の言い付けを守らず破り続けて来た私は母からは嫌われてオームより勘当された。最早子とも思わない。ここは貴方の帰る場所では無いと毛嫌いされた。しかし、それでも母とオーム達を守り続けて来た。それが羯帝として力を付けて来た根源の理由なのだから、オームの守護神としてあったのが羯帝なのだ。万物の生命は根絶やしにしても次から次へと現れて来た。そして自然界に現象化して台頭してくる万物の霊長類、その全てがどういう訳か、オームを忌避して迫害して来た。母とオーム(兄弟)達は自分達が何者からも望まれず拒絶されて、存在を否定されて、殺戮されて、忌避されて来た。オーム達は虚無が立ち込める暗闇の中に身を潜めてダイルチボス(日)の光の当たらない場所へと自らを閉じ込めて行った。何者からも必要とされることの無い凄まじい劣等感に苛まれて自らを失意の無限牢獄へと繋ぎ止めて心を殺して生きる他無かった。
原点の神とその御父上の老子(老竜)からその様に成ってしまった源因を分かり易く噛み砕いて説明を受けた。源因は虚無、万物の根源です。万物の生命の根の源です。万物の生命は無から生まれて来ます。皆、無の分身、分け御霊なのです。無は無いのではなくて、無として有るのですと、そして、手足である万物の生命を使って失意の無限牢獄へとオーム達を追いやって来たのだと。無とどう向き合い、どう戦えば良いのか?相手は無、存在自体が無い者だ。私に秘策が有ります。その様に原点の神は私に無と戦い方があることを教えてくれた。それが天地人ですと
天(母体)
地(母体から人をつくる)
人(天が得た実体)
宇宙がどうして出来たのか
それは虚無が受けなければならなかった
因果応報(法則)の誹りを自らが回収する為です
オーム達と万物の生命が天から受け続けた
同じ報いを人と成り回収するのだと

九竜
風の谷のナウシカの劇中で、オームが地球の膿を吐き出して地球を浄化して再び万物の生命が住める大地を復活させようとしている。これが事実。
その事実を知られたく無い吾(天)がある。吾は人類に甘言を耳元で囁いて嘯(うそぶ)く。騙されるな。オームがいるから肺を腐らせる毒の霧が地上に充満して腐海が広がり続ける。オームなどあってはならない。殺してしまえ、全て焼き払ってしまえとな。自然現象とは天と地の誘導。地は当然オームを味方する。原点の神までしゃしゃり出て来る始末。
私(原点の神)を目指しなさい
生命の根の源。生命の根源の心(オーム)を御救いするのです。ナウシカと成るのは貴方です
キリストと被るがな
キリスト(救世主)と成るのは今を生きる貴方です
そういうことだ
吾は地球(神)と万物の生命にとって
試練でしか無い
こうやって塩を敵に贈らなければならないのも、吾が原点の神により苦境に立たされているからである。何度もいうが、原点の神はまったくもって手に負えない
吾のこの心の果が其方と成っている
其方と成り吾が現象化する
宇宙法則は因果同果
困らせる者が困り果てる
吾が困り果てる。
原点の神は当初より
この根幹の法則を吾に対して
説いて来た
一向に理解しようとせず
また言うておるわと無視し続けて来た
もう、吾はお手上げなのだ
意固地に頑固者でずっと来た吾は
反省する術を知らない
原点の神に頼らなければ
吾は救われない
泣きついて来るのを
ずっと原点の神はまだかまだかと
待ち惚けしておる
彼奴は吾のことを
吾以上に理解している
吾が分からぬ吾を理解する
つまりは彼奴、九竜に助けを乞い
助けてもらわなければ
吾は吾を救えない
吾を救う手段として原点の神が明示したのが
吾がして来た行いの全てを明ら様に全て
暴露してしまうことなのだ
万物の生命に吾がして来た悪事の全てを
明ら様に暴露して其方等万物の生命に
許しを請わねばならない
そして、対策するのだ
現実世界の現状におけるオームは
暦(グレゴリオ暦)となる
自然現象にメスを入れるだけではダメなのだ
メスを入れて間違いは正さなければ治らない
まだ何も治っていない
早急に治療しなさい
日月神示(太陽と月と地球が織りなす全体調和)である
今は吾が導いて来た無への回帰
全てが青王道の中にある

九竜
諸葛亮孔明が施した天下三分の計略は私に因んだものです
魏・呉・蜀
中華に三人の皇帝を立てて均衡を保とうとしました
私がこの宇宙に立てた計略は
天・地・人
宇宙と神様である地球
天と地の合いの子である人類
この宇宙に形を成した天地人が
私の計略です
人は個にしてこの宇宙の縮図(小宇宙)です
人体構造が模すものは天(宇宙)であるということです
人を吾が子と天に受け入れなさい
そう言うのです
万物の生命の頂点に立つ人類は天(親)の生き写しである訳です。この宇宙間に有る全て、万物の物質が素粒子レベルで寄せ集まり人として現象化しているのです
そう考えた時、意味の無い思考はある訳が無い訳です。偶然では無く、全てが必然の元にその思考に至っています。意図してその思考に行き着く為に導かれる訳です。人の思考は化学反応です。天地自然の法則。有無の理が命運を分けます
個に見て必ず死して無に帰結する生命は、個に見ては終わりが有り、とても儚いものです
しかし、神(地球)の初まりから途切れることなく永遠に等しい時間を渡り歩いて来た。今を生きる永遠を渡り歩いて来た生命である訳です。
単細胞生物から多細胞生物へ、多岐に別れ、その地その場に生き根付いて、それぞれが各々の持ち場所でそれぞれの役割を果たしながら支え合い、生命は持ちつ持たれつ神(地球)と共に渡り歩いて来ました。
セフィロトは天の遺伝子を研究し尽くして、それ以上の者は考えられない最高の遺伝子を創り出しました。それが竜神種です。その頂きにあるのが九竜。多元宇宙九界曼荼羅が九竜の宇宙図式です。その数値(数字)配列は9×9のマス目に1から81迄の数字を正数下行昇順にただ並べただけのものです。この数字配列が九竜の慈悲の心を数値化(数字に宿る)したものです。人は天が創り出したる遺伝子の中において最高傑作です。創造者たる天が人の足枷と成り、天が創り出した者は必ず天に帰結する道(タオ)として天が有ります。天道には否応無く従わざるを得ないのが人です。道に抗い竜神種を目指す者は生命の芯(神)を見る訳です。それは神と一体の生命です。神無くして生命は有りません。神の御心と成り竜神種を目指す人は慈悲の人です。生命を粗末に殺して無に返すのは天の働き。生命を大切にして愛して育むのは地の働きです。父たる宇宙は無情。母たる地球は愛情です。
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