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明日は何の日
靴の日・靴の記念日(3月15日 記念日)
日本靴連盟が1932年(昭和7年)に制定。

1870年(明治3年)のこの日、実業家・西村勝三が、東京・築地入船町に日本初の西洋靴の工場「伊勢勝造靴場」を開設した。記念日の名称は「靴の日」または「靴の記念日」の表記が見られる。

ヨーロッパの洋靴「西洋草履」が日本に入って来たのは幕末だったが、日本人の足には合いにくいものだった。伊勢勝造靴場は、日本陸軍の創始者・大村益次郎の提案によるもので、輸入された軍靴が大きすぎたため、日本人の足に合う靴を作るために開設された。造靴場のあった東京都中央区入船三丁目には「靴業発祥の地」の記念碑が同連盟により建てられている。

碑文にある「兵部大輔」(ひょうぶたいふ)とは、かつて日本にあった軍政(国防)を司る行政機関「兵部省」の官職で、今の次官に相当する。大村益次郎は初代の兵部大輔を務めた。また、碑文には伊勢勝造靴場のあったこの地が日本における製靴産業の原点であると記されている。
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明日は何の日
サンドイッチデー(3月13日 記念日)
日付は1が3で挟まれている(サンド1=サンドイッチ)ことから。

記念日を制定した団体や目的などについては定かではない。

この日とは別に、「サンドイッチ」の名前の由来とされるイギリスの貴族、第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギュー(John Montagu、1718~1792年)の誕生日である11月3日は「サンドウィッチの日」となっている。

サンドウィッチ伯爵はサンドイッチを発明したわけでも推奨したわけでもないが、大のギャンブル好きで常にゲームをしながら食べていたことがきっかけで名前が付いたと言われている。

サンドイッチについて
サンドイッチ(sandwich)とは、パンに肉や野菜などの具を挟んだり、乗せたりした料理のこと。日本においては具材の名称を前に付して「野菜サンド」「ハムサンド」「卵サンド」「カツサンド」など、「○○サンド」の略称で呼ばれることがある。

1892年(明治25年)、鎌倉市大船の大船軒が大船駅で販売したサンドイッチが、駅弁としては日本最初とされている。

三角形に切られたサンドイッチについては、1961年(昭和36年)、東京の茗荷谷駅近くにあった「フレンパン」(婦連パン小石川販売所)が「フレンサンドイッチ」という名称で販売し始めたものを発祥とする。

後楽園球場にサンドイッチを売りに行っていた同店の主人が、「中身が見えるサンドイッチがあれば便利だな」という客の一言から考案したものである。同店がすぐに特許を取得したが、5年後には放棄したため、全国的に広まった。
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オリーブの日(3月15日 記念日)
香川県・小豆島の「オリーブを守る会」が1972年(昭和47年)に制定。

1950年(昭和25年)のこの日、昭和天皇が小豆島を巡幸の際にオリーブの種をお手播きされた。その種は発芽し、現在では立派な樹に成長している。

記念日には多くの人にオリーブを知ってもらいたいという願いが込められている。毎年、記念日に合わせて様々なイベントが開催される。

オリーブについて
オリーブ(olive)は、モクセイ科オリーブ属の常緑高木。果実は油分を多く含み、主要な食用油の一つであるオリーブ・オイルの原料である。地中海地方が原産とされる。

葉が小さくて硬く、比較的乾燥に強いことからスペインやイタリアなどの地中海地域で広く栽培されている。日本での栽培は香川県・小豆島で1910年(明治43年)頃はじめて成功した。


古代から重要な油糧作物として知られてきた。また、原産地が西洋文明の発祥区域の地中海沿岸であるため、聖書の記述をはじめ多くの文化的記録が残っている。

『旧約聖書』の物語「ノアの方舟」では、「神が起こした大洪水の後、陸地を探すためにノアの放った鳩が、オリーブの枝をくわえて帰ってきた。これを見たノアは、水が引き始めたことを知った」との一節がある。

このことからオリーブの枝は鳩と共に「平和の象徴」とされている。古くはオリンピックの勝者にクレタ島のオリーブの樹から作られたオリーブ冠が授けられた。現在では国際連合旗のほか、イタリアやイスラエルの国章などにオリーブの枝が使われている。
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Olive

伊東 隆

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明日は何の日
新選組の日(3月13日 記念日)
新選組にゆかりのある東京都日野市のNPO(特定非営利活動)法人・日野市観光協会が制定。

1863年(文久3年)のこの日、京都・壬生に詰めていた武芸に秀でた浪士達で構成された新選組の前身「壬生浪士組」に、陸奥国会津藩主で京都守護職の松平容保から「会津藩預かり」とする連絡が入り、新選組が正式に発足した。

もともと壬生浪士組は、清河八郎の提案で、事件が頻発している京都の警護に当たるために幕府が江戸で募集をしたものである。1863年2月に江戸を出発したが、京都に着いた途端、清河が壬生浪士組の目的は尊皇攘夷だと言い出したため、浪士組は空中分解してしまった。

まもなく幕府の帰還命令を受けて清河ら209名は江戸に戻ったが、近藤勇・芹沢鴨・土方歳三・沖田総司・山南敬助・永倉新八・井上源三郎・斎藤一ら24名はそのまま京都に残留した。松平容保の配下に入り、9月に隊名を「新選組」と改称した。その後、約4年間にわたり、京都で尊皇攘夷派・倒幕派の弾圧を行った。

記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。日野市は新選組副長の土方歳三や六番隊組長の井上源三郎らの出身地であり、新選組の故郷である。この歴史・文化を郷土の誇りとして、意識おこし・まちおこしにつなげ、市全体の活性化を目指している。
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明日は何の日
スケートの日(12月25日 記念日)
日本スケート場協会が1982年(昭和57年)に制定。

1861年(文久元年)のこの日、北海道・函館に滞在していたイギリスの軍人・貿易商・探検家・動物学者のトーマス・ブレーキストン(Thomas Blakiston、1832~1891年)が、日本で初めてスケートをしたとされる。

これとは別に、1792年(寛政4年)にロシアの使節ラクスマン一行が根室で一冬を過ごした時に、結氷した根室湾内で滑ったのが日本初であるとする説もある。

書籍にも記されている記念日ではあるが、その由来を含めて不明な点も多い記念日である。インターネットで検索する限りでは、日本スケート場協会はスケート場業界の任意団体との情報しかない。「スケートの日」を記念したイベントなども確認できないが、この日12月25日は「クリスマス」であり、クリスマス企画としてのイベントは確認できる。

現在、日本におけるスピードスケート、フィギュアスケート、ショートトラックの3競技を統括する組織として、公益財団法人・日本スケート連盟がある。同連盟は、1929年(昭和4年)に大日本スケート競技連盟として発足したと公式サイトに明記されている。

話は少し変わるが、日本で初めてスケートをしたとされるトーマス・ブレーキストンは、トマス・ブラキストンとも表記される。ブレーキストンは幕末から明治期にかけて日本に滞在し、津軽海峡における動物学的分布境界線の存在を指摘した人物でもある。

この境界線は後に「ブラキストン線」と命名された。この発見を記念して、函館山の山頂にブレーキストンのレリーフをはめ込んだ石碑が建てられている。ブレーキストンは20年以上にわたって函館に暮らし、貿易商として函館の発展に貢献した人物でもある。
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スケートをする人々 (feat. フィルハーモニア管弦楽団)

Herbert von Karajan,フィルハーモニア管弦楽団

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漁業法記念日(3月13日 記念日)
1949年(昭和24年)のこの日、現行の「漁業法」が施行された。

漁業法は、漁業生産に関する基本的な制度を定めた法律。水面を総合的に利用することによって漁業生産力を発展させ、あわせて漁業の民主化をはかることを目的としている。漁業権・入漁権・指定漁業・漁業調整などに関する規定がある。

現行の漁業法は、1901年(明治34年)に制定された旧「漁業法」を全面的に改正して制定された。その旧漁業法が制定された4月13日は「水産デー」となっている。
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Blue Monday

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咲顔(えがお)の日(3月12日 記念日)
東京都港区高輪に本社を置き、研修業務・経営コンサルタント業務を行う株式会社喜田寛総合研究所(KIDAKEN)の代表・喜田寛氏が制定。

日付は喜田氏の誕生日・1945年(昭和20年)3月12日から。「咲顔」と書いて「えがお」と読む。同研究所では、咲顔を大切にし、誰もが心からほころぶような咲顔の人になることを願い、咲顔を広める活動を行っている。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

「咲顔」は民俗学者の柳田國男(やなぎた くにお、1875~1962年)が「笑む(えむ)」を「咲む」と書いたことに始まる。「笑む・咲む」には、「にこにこする」「笑い顔になる」「花が咲きはじめる」「つぼみがほころびる」「果実が熟して裂け開く」などの意味がある。「ほほ笑む」ことを表す「笑む」という言葉を、比喩的につぼみが開く様子と重ね合せて「咲む」という言葉が誕生したとされている。
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Don't Tell Me You Love Me

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国際結婚の日(3月14日 記念日)
1873年(明治6年)のこの日、明治政府が日本で初めて国際結婚を認めるとの太政官布告を出した。

国際結婚の歴史
1872年に英国で行われた長州藩のイギリス留学生・南貞助とイギリス人女性ライザ・ピットマンとの結婚が翌1873年6月3日に日本政府太政官に許可されたことで、これが日本における法律上の国際結婚第一号であるとされる。ただし、南より先の1869年に官僚・尾崎三良が英国においてイギリス女性と法的に婚姻している。日本での届け出は南より後の1880年である。また、2人とも後に離婚している。
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万国博デー(3月15日 記念日)
1970年(昭和45年)のこの日、前日に開幕式が行われた大阪府吹田市千里丘陵の「日本万国博覧会」(大阪万博)の一般入場が開始された。

大阪万博の開催期間は3月15日~9月13日の約6ヵ月、183日間。英語表記は「Japan World Exposition, Osaka 1970」(EXPO'70)。アジア初かつ日本で最初の国際博覧会であり、当時史上最大の規模を誇った。主催は、財団法人・日本万国博覧会協会。博覧会の名誉総裁は当時の皇太子・明仁親王、名誉会長は当時の内閣総理大臣・佐藤栄作。

「人類の進歩と調和」(Progress and Harmony for Mankind)をテーマに掲げ、77ヵ国が参加し、戦後、高度経済成長を成し遂げアメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義を持つイベントとして開催された。

日本においては1964年(昭和39年)の東京オリンピック以来の国家プロジェクトであり、多くの企業・研究者・建築家・芸術家らがパビリオン建設や映像・音響などのイベント制作・展示物制作に起用された。大阪市など会場周辺市街地では万博開催への整備がなされ、道路や鉄道、地下鉄建設など大規模開発が進められた。

万博の会場面積は330ha、総入場者数は約6421万人(うち外国人は約170万人)であった。テーマ館の一部として芸術家・岡本太郎意匠による「太陽の塔」が作られた。塔は現在も残され、万博記念公園のシンボルとなっている。
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東京初の日刊新聞創刊日(2月21日 記念日)
1872年(明治5年)のこの日、東京で初めての日刊新聞「東京日日新聞」(現在の「毎日新聞」)が創刊された。

創刊者は戯作者・条野採菊(じょうの さいぎく、1832~1902年)、浮世絵師・落合芳幾(おちあい よしいく、1833~1904年)らで、政治家・江藤新平(えとう しんぺい、1834~1874年)らが後援した。創刊号は片面だけ印刷された1枚のみで、代金は1部140文(もん)、1ヵ月銀20匁(もんめ)であった。

外国人向けの新聞は19世紀中頃からあったが、日本国内のニュースが新聞になったのは明治になってからである。日本初の日刊新聞は1871年1月28日(明治3年12月8日)、横浜活版舎(のち横浜毎日新聞社)が創刊した「横浜毎日新聞」であった。

しかし、1940年(昭和15年)、東京の「帝都日日新聞」(のち「やまと新聞」)に吸収合併されたため、現存する中では「東京日日新聞」が最古となる。毎日新聞は自身のことを「東京で最初の日刊紙」と表現している。

この記念日の名称を「日刊新聞創刊の日」とする表記も見られる。また、上記のように日本で初めての日刊新聞「横浜毎日新聞」が創刊された12月8日は「日刊新聞創刊日」となっている。
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青函トンネル開業記念日(3月13日 記念日)
1988年(昭和63年)のこの日、本州・青森と北海道・函館を結ぶ北海道旅客鉄道(JR北海道)の海底トンネル「青函トンネル」が開通した。

正確には本州の青森県東津軽郡今別町浜名と北海道上磯郡知内町湯の里を結ぶトンネルである。用途は鉄道トンネルで、青森県の中小国駅と北海道の木古内駅を結ぶJR海峡線(当時の愛称:津軽海峡線)が同日に開業した。

1946年(昭和21年)の地質調査開始から42年の歳月がかかり、トンネル本体の建設費は計画段階で5384億円であったが、実際には7455億円という巨費が投じられた。また、取り付け線を含めた海峡線としての建設費は計画段階で6890億円、実際には9000億円に上った。

当時、青森駅と函館駅を結ぶ鉄道連絡船として、日本国有鉄道(国鉄)により青函航路(青函連絡船)が運航されていたが、青函トンネルの開通により同日に廃止され、80年の歴史の幕を閉じた。

2016年(平成28年)3月26日に新青森駅と新函館北斗駅を結ぶ北海道新幹線が開業した。これに伴い、青函トンネルは在来線の海峡線と北海道新幹線の共用走行を行っている。

青函トンネルは、全長53.85km、海底部23.30km、全長の43%が海底である。長らく世界最長の鉄道トンネルであったが、2016年6月1日にスイスのアルプス山脈を通る57.09kmのゴッタルドベーストンネルが開通し、世界2位の長さとなっている。
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