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れい
東京駅完成記念日(12月18日 記念日)
1914年(大正3年)のこの日、東京駅の完成式が行われた。この日は「東京駅の日」ともされる。
1889年(明治22年)に新橋駅と上野駅を高架鉄道で結び、その中央に中央停車場を建設する計画が決定されたが、資金不足や日露戦争などで中断されていた。1908年(明治41年)に工事が開始され、6年半の歳月と280万円の費用をかけて完成し、駅名は「東京駅」と名付けられた。
東京駅の位置は、江戸時代からの繁華街である京橋側ではなく、建設当時はまだ野原であった丸の内側に建設された。この場所は皇居の正面にあたり、丸の内口の中央に皇室専用の貴賓出入口が設けられた。完成式が行われた2日後の1914年(大正3年)12月20日に開業し、東海道本線の起点が新橋駅から移された。
赤レンガ造りの丸の内口駅舎は建築家・辰野金吾(たつの きんご、1854~1919年)らが設計したもので、2003年(平成15年)に国の重要文化財に指定された。東京駅は「関東の駅百選」認定駅でもある。
近年、赤レンガの丸の内駅舎を創建当初の本来の姿に近い形態に復原する工事が行われた。2007年(平成19年)5月30日に復原工事が開始され、約500億円という費用をかけて、2012年(平成24年)10月1日に完成した。
2014年(平成26年)12月20日に東京駅は開業100周年を迎えた。これを記念してJR東日本から記念Suica(スイカ)が発売された。当初、限定1万5000枚の予定であったが、希望者が殺到して大混乱となり、結局は希望者全員に販売された。その販売総数は約427万枚に上った。
2024年(令和6年)に刷新される予定の新一万円札の裏面には、丸の内駅舎が描かれる。鉄道駅が紙幣にデザインされるのは初めてのことである。
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I Ain't Goin' Down
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れい
後楽園開園記念日(3月2日 記念日)
1884年(明治17年)3月、岡山県岡山市にある「後楽園」が開園し、一般に公開された。記念式典が行われた3月2日を岡山県が「開園記念日」に制定。
後楽園について
江戸時代初期、岡山藩2代藩主・池田綱政(いけだ つなまさ)によって造営されたもので、1687年(貞享4年)に着工し、14年の歳月をかけ1700年(元禄13年)に完成した。岡山市内を流れる旭川をはさみ、岡山城の対岸の中州に位置する。藩主が賓客をもてなした建物・延養亭(えんようてい)を中心とした池泉回遊式の庭園で岡山城や周辺の山を借景としている。
江戸時代には延養亭を「茶屋屋敷」、城の背後にあることから庭園を「後園」または「御後園」と呼んでいた。1871年(明治4年)、園内を一般開放するにあたって、岡山藩10代藩主・池田章政(いけだ あきまさ)は、これを「後楽園」と改めた。
「後楽園」の名称は、中国・宋の范仲淹(はん ちゅうえん)が著した『岳陽楼記』にある「先憂後楽」(「天下を以て己が任となし、天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみにおくれて楽しむ」)に由来する。1884年(明治17年)3月、池田家から岡山県の所有となり、一般に公開された。2000年(平成12年)、築庭300周年を迎えた。
総面積は133,000平方メートルで、東京ドームの約3倍である。国の特別名勝に指定されており、石川県金沢市の「兼六園」、茨城県水戸市の「偕楽園」とともに優れた景勝を持つ「日本三名園」の一つとされる。「後楽園」の入園料は大人410円、シニア(65歳以上)140円であるが、この日は開園記念日として入園無料となっている。
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渚

れい
浅草仲見世記念日(12月27日 記念日)
1885年(明治18年)のこの日、東京・浅草の「仲見世」が新装開業した。
浅草仲見世は、雷門から浅草寺へと続く参道の両脇に位置する商店街で、日本で最も古い商店街の一つである。この日、煉瓦(れんが)造りの新店舗が開店した。現在、商店が立ち並ぶ通りは「仲見世通り」と呼ばれ、長さが約250mで、東側に54店、西側に35店、合計89店の店舗がある。
浅草仲見世について
徳川家康が江戸幕府を開いてから、江戸の人口は増え、浅草寺への参拝客は一層の賑わいを見せた。そんな中、近隣住民に浅草寺境内の掃除を役務として課す見返りに、境内や参道上で店を営業する特権が与えられた。これが仲見世の始まりであり、1685年(貞享2年)頃とされている。
江戸時代には、伝法院(でんぼういん)から仁王門寄りの店を役店(やくだな)と呼び、20件の水茶屋が並び、雷門寄りは平店(ひらみせ)と呼び、玩具や菓子、土産物などを売っており、次第に店も増え、日本で最も形の整った門前町へ発展していった。
明治維新の政変により、寺社の所領が政府に没収され、浅草寺の境内も東京府の管轄となった。合わせて制定された公園法により境内が公園地に指定され、以前からの特権が仲見世から取り上げられた。
1885年(明治18年)5月、東京府は仲見世全店の取り払いを命じ、泣く泣く退店した後、同年12月に煉瓦造りの洋風豊かな新店舗が完成、近代仲見世が誕生した。
その後、1923年(大正12年)の関東大震災で赤煉瓦の仲見世は倒壊したが、鉄筋コンクリート造りの建物として再建された。
1945年(昭和20年)の戦災で内部は全部焼失したが、仲見世の人々の努力によりいち早く復興し、1985年(昭和60年)には近代仲見世の誕生100周年を迎えた。
現在でも、仲見世は正月の初詣を中心として、浅草寺を参拝する多くの人々で賑わう。人形焼や雷おこし、団子といった甘味屋や、扇子や髪飾り、帯を扱う和装屋などがあり、海外からも多くの観光客が訪れている。
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淺草管弦樂

れい
銘店伝説誕生の日(2月24日 記念日)
香川県綾歌郡綾川町に本社を置き、生ラーメンやスープの製造・販売などを手がける株式会社アイランド食品が制定。
同社は1986年(昭和61年)9月に設立された会社。そして、同社の主力商品「銘店伝説」シリーズは、人気ラーメン店の味を忠実に再現し、家庭でも気軽にその味を楽しんでもらえるチルドラーメンである。
日付は「銘店伝説」をシリーズとして発売を開始した2008年(平成20年)2月24日から。
外食がしづらい状況でも、お店に行った気分になれる「銘店伝説」をより多くの人に知ってもらい、その美味しさを味わってもらうことが目的。記念日は2020年(令和2年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
行列ができる店、わざわざ足を運びたい店、名物店主がいる店。その味わいを再現し、名店の一杯を気軽に味わってもらいたい。そんなコンセプトのもと、同社は日々、ラーメンづくりに取り組んでいる。
店主が魂を込めて生み出したスープ・レシピをどうやって再現していくか。店主が納得するまで何度も何度も試作を重ね、時間をかけて忠実に再現し、完成した商品をお届けしている。「銘店伝説」シリーズにはラーメン店主と同社のこだわりの味が詰まっている。
また、同社はこれらのチルドラーメン「銘店伝説」シリーズの他に、全国各地のお土産物としても商品を販売しており、高速道路サービスエリアや土産物店などでも同社の商品を購入することができる。その他、同社は業務用のスープやタレの開発・販売も行っている。
「雑学ネタ帳」より
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ちゅるるんラーメン

れい
マヨネーズの日(3月1日 記念日)
東京都渋谷区渋谷に本社を置き、「マヨネーズ」をはじめとして、ドレッシング、ジャムなど数多くの食品を製造・販売するキユーピー株式会社が制定。
日付は同社が1925年(大正14年)3月に日本で初めてのマヨネーズを製造・販売したことと、日本初(1)にちなんで1日としたもの。
美味しく、栄養があり、安心して食べられ、様々な料理に活用できるマヨネーズをアピールすることが目的。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
初めて発売されたマヨネーズは瓶詰めタイプで、当時からラベルにはキユーピーちゃんが描かれていた。
ロゴマークのキユーピーちゃんは、1909年(明治42年)にアメリカのイラストレーターであるローズ・オニール(Rose O'Neill)がローマ神話の愛の神・キューピッド(Cupid)をモチーフとしたキャラクターとして発表した「キューピー(Kewpie)」に由来する。大正時代、日本でもセルロイド製の国産「キューピー人形」が大流行していた。
社名・商標は「キューピー」ではなく、小文字を用いない「キユーピー」である。この理由は「デザイン上のバランス」であるとしている。
マヨネーズ(Mayonnaise)は、食用油・酢・卵を主材料とした半固体状ドレッシングである。卵は卵黄のみ使用するものと全卵を使用するものがある。日本で最もシェアの高いキユーピーの製品は卵黄タイプであるが、世界では全卵タイプのものが主流である。
「Mayonnaise」はフランス語であり、当初はフランス料理の肉用のソースの一種であったが、サラダなどの料理における調味料として利用されている。「マヨ」と略されて呼ばれることがあるが、英語でも「mayo」と略されることが多い。
海外産のマヨネーズの多くは日本農林規格(JAS規格)の基準では「マヨネーズ」に該当せず、マヨネーズという商品名にも拘らず「半固体状ドレッシング」という分類で販売されている。日本ではソフトチューブ入りのものが多く出回っているが、欧米では瓶入りのものが普及している。世界で最もマヨネーズを消費している国はロシアである。
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マヨネーズ

れい
「昭和」改元の日(12月25日 記念日)
1926年(大正15年/昭和元年)のこの日、大正天皇が崩御され、皇太子であった裕仁(ひろひと)親王が新天皇に即位された。
これと共に新しい元号「昭和」が制定された。「昭和」の由来は、中国最古の歴史書『書経』にある「百姓昭明、協和萬邦」(百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す)という一行から上下一文字ずつ取ったもの。国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味である。
戦前の旧祝祭日では、大祭日の一つ「大正天皇際」(12月25日)といって大正天皇崩御を祀る日とされていた。
当時、枢密院議長だった倉富勇三郎の日記によれば、宮内省作成の元号案として「神化」「元化」「昭和」「神和」「同和」「継明」「順明」「明保」「寛安」「元安」があったが、数回の勘申の結果、「昭和」を候補とし、「元化」「同和」を参考とする最終案が決定した。一方、内閣では「立成」「定業」「光文」「章明」「協中」を元号案の候補に挙げていた。
光文事件について
東京日日新聞(現:毎日新聞)は、早くから「新しい元号は『光文』になるらしい」という情報を得ていたため、政府の公式発表の前に「元号は『光文』に決定」と報じた。しかし、政府は元号を「昭和」と発表したため、この「特ダネ」は「大誤報」となってしまい、編集局主幹の城戸元亮(きど もとすけ)は責任をとって辞任した。
「光文」は新元号の候補の中にあり、「元々『光文』に決定していたものが、新聞で先に報道されてしまったため、政府は『昭和』に急遽変更した」という噂が生まれた。
「改元の日」関連記事
「大化」元号の日(6月19日 記念日)
「明治」改元の日(9月8日 記念日)
「大正」改元の日(7月30日 記念日)
「平成」改元の日(1月8日 記念日)
「令和」改元の日(5月1日 記念日)
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White Christmas - Reimagined

れい
飛行機の日(12月17日 記念日)
1903年(明治36年)のこの日、アメリカ・ノースカロライナ州において、ライト兄弟(Wright Brothers)がライトフライヤー号(Wright Flyer)で、動力飛行機の初飛行に成功した。
ライト兄弟は、アメリカ出身の発明家で、兄のウィルバー・ライト(Wilbur Wright、1867~1912年)と弟のオーヴィル・ライト(Orville Wright、1871~1948年)である。詳しくはライト家の三男と四男で、他に3人の兄妹がいた。
初飛行に成功した場所は、現在の同州キティホークの南にある海に面したキルデビルヒルズという町である。この日には合計4回の飛行が試みられ、1回目の飛行時間は12秒で飛行距離は約36.5m(120ft)、4回目の飛行時間は59秒で飛行距離は約259.6m(852ft)という結果であった。
キルデビルヒルズにおける初飛行(1903年12月17日)
操縦者は弟のオーヴィル。横にいるのは兄のウィルバーで、離陸滑走の間、地面に触れないように支えていた翼端を離している。この飛行を見ていた観客はわずか5人であった。
ライト兄弟は自転車屋をしながら研究を続けた結果、世界初の有人動力飛行を成功させた。飛行記録からすると弟のオーヴィルの方が操縦に長けていたようである。
この初飛行を記念して、キルデビルヒルズには国立のライト兄弟メモリアル(Wright Brothers National Memorial)が建設されており、これに隣接してファーストフライト空港(First Flight Airport)が一般航空用に設置されている。
2003年(平成15年)には動力飛行100周年を迎え、同空港にはパイロット用の建屋が建設され、大々的なイベントが実施された。
日本における動力初飛行は、ライト兄弟の初飛行から7年後の1910年(明治43年)12月19日に陸軍軍人・徳川好敏により行われ、12月19日は「日本人初飛行の日」となっている。その他、関連する記念日として10月25日の「民間航空記念日」や3月6日の「世界一周記念日」などがある。
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ひこうき雲(風立ちぬより)

れい
国旗制定記念日(1月27日 記念日)
1870年(明治3年)のこの日(旧暦)、明治政府が日の丸を国旗とする太政官布告だじょうかんふこくの商船規則により、国旗のデザインと規格を示した。
新暦では2月27日となる。これを記念して、一般社団法人・国旗協会が記念日を制定。同協会は東京都千代田区丸の内に事務局を置き、国を象徴する国旗の正しい理解と普及を目的としている。
日本の国旗は徳川幕府が「日本総船印にほんそうふなじるし」として定めた白地に日の丸を踏襲した「商船国旗」として定められた。規則ができるまでは船によりそれぞれ異なるデザインの旗が掲げられていた。後に陸軍・海軍の軍旗も別々に定められたが、廃止された。当時の規格は、縦横の比率は7:10で、日の丸が旗の中心から旗ざお側に横の長さの100分の1ずれた位置とされていた。
1999年(平成11年)8月9日、「国旗及び国歌に関する法律」が成立、8月13日に公布・即日施行され、日の丸・君が代が国旗・国歌として法制化された。国旗の縦横の比率は2:3、日の丸の直径は縦の長さの5分の3、日の丸は旗の中心の位置。色地は白色、日の丸は紅色とされている。
ちなみに、日本の国旗とデザインが似たものに、バングラデシュとパラオの国旗がある。これらの国旗の円が中心ではなく、旗ざお側に少し寄っている。また、これらの国旗のデザインは日本の国旗に由来するという説もある。
バングラデシュの国旗が制定されたのは1972年(昭和47年)1月17日。この国旗において、赤色の円は昇りゆく太陽を表し、地の緑色は豊かな大地を表す。また、赤色は独立戦争で死んだ者の血も表している。
パラオの国旗が制定されたのは1981年(昭和56年)1月1日。この国旗において、黄色の円は月を表し、パラオ人の機が熟し独立国となったことを表す。また、月はパラオの人々にとって収穫や自然の循環、年中行事に重要な役割を果たしている。
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ナショナルフラッグ

れい
リニモの日(3月6日 記念日)
日本初の磁気浮上式鉄道(リニアモーターカー)愛称「リニモ」を運行する愛知県長久手市の愛知高速交通株式会社が2015年(平成27年)に制定。
日付は「リニモ」が走る東部丘陵線の開業日である2005年(平成17年)3月6日から。開業10周年を記念して記念日とした。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
リニモについて
「リニモ」は、愛知県名古屋市の藤が丘駅と愛知県豊田市の八草駅間の9駅を約17分で結ぶ営業距離8.9キロの鉄道で、車輪を持たないため、騒音や振動が小さく、快適な乗り心地が特色である。
「リニモ」は常電導吸引型(HSST)による、日本初の磁気浮上式鉄道(リニアモーターカー)の常設実用路線である。2005年に開催された愛知万博(愛・地球博)の未来感と会場アクセスの目的を兼ねて建設された。自動列車運転装置(ATO)による無人自動運転を採用している。最高速度は約100km/hとなっている。
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