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ソマリ🦎
近畿圏も自分のやってた業界が多くあるのでそちらも視野には入れてますがw
東京だと車あっても…なので、カエルちゃんを手放そうと考えていましたが、身内と相談してもうちょい一緒に居ることを決めましたw
2年半で約4万kmは走りすぎな気もするけど…。
山道とか走りまくったし、こっちは道路あまり良くなくて段差の衝撃とかなるべくかわしてるけどかなり受けてるから足回りのダメージが次の車検にどう影響するのか…:(´◦ω◦`):ガクブル
カエルちゃんは軽だから加速とか今ひとつ…だし、高さがあるので直線を意識したアクセル&ブレーキしないとコーナーでロールして怖い思いしますがw
スポーツモードとか使ってアウトインアウト、立ち上がりの加速を意識したら結構走れるw
正直言うとカエルちゃん手放すと考えた時に沢山沢山思い出があって…、正直どうしようか本る当に考えて悩みました。
でも、中途半端なメンテで適当に乗るならサヨナラしてでも、大事に乗ってくれる人が次のオーナーになるならとも…。
たかが道具ですし、身内からも「物とかそんなのまで気にするから…」とお然り受けましたがw
大事な物は大事なんだよ!!


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ヤモオ
夜勤だった自分は丁度14時半くらいに布団に入った。そしてウトウトとしたその時‼️
地面から上に突き上げられる物凄い衝撃を喰らい目を覚まして何事かと‼️思った時に
物凄く激しい縦揺れ🫨
直感的にこれは只事じゃないなと部屋の外に逃げました。
そのまま嫁が当時勤めていたコンビニに安否の確認に行きました。
その道中、信号は皆黒くなり渋滞が起きて
近くのパチンコ屋からは蜘蛛の子散らしたように客が車に乗り込み我先にと駐車場から逃げ出してそれが更に渋滞を加速させて大渋滞となりました。
裏道を使って嫁の店までどうにか辿り着いて
嫁の安全を確認して次に実家の母の所に向かいました。
海から遠い道は渋滞で進まず
近道である海沿いの横断を決断して
海側に車を向けました
避難のサイレンが鳴る中
車の姿も無くなった橋を渡る途中で唖然としました。
水位が無く海の底が見えていました。
それが遥か先まで続いていて
いつも見ていた船が海の上ではなく海底にありました。
気がついたら橋の真ん中で車を止めていました。
遠く沖を見るとハッキリと大きい白波の壁が見えていました。
我に返って逃げるようにアクセルを踏んで実家に向かいました。
実家に着くと弟も帰ってきていて母の無事を確認した所で弟に任せて、妻のコンビニに戻りました。
16時過ぎ位にコンビニに付いた時
そこは買い込み客で大混雑でレジも停電で使えないから電卓や自分の携帯電話で妻達はレジをしていてそれを手伝いながら状況把握にケータイでyoutube見てたら
さっき通ってきた海沿いの道の橋の下にあるコンビニが津波に飲まれた動画が流れて来て戦慄して思わず声が出て周囲の買物客と一緒に動画を見て『こっちまで来るかなぁ』とか、話してたね。
そして原発や余震でなかなかに夜も休めない一週間だったなぁ。
昨日のように思い出せるね。
あれから14年…まさか妻が旅立つとは
あの時の自分は知らないんだよな…
そして、あの時には妻の癌はもぅ存在していたのかも知れない。
震災とその時の妻との思い出のダブルパンチで
今日は辛いなぁ…
被災して旅立たれた方々、
被災後沈痛の極みの中旅立たれた方々に
悟りあれ、幸あれ、愛あれかし🙏

星一 ·͜·ᰔᩚ🦀🇰🇷
だいぶ変わっとるな〜[泣き笑い]



ダニヱル🐸

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