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ほのごん

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ダンス15年目を迎えようとしている私、
少しダンス人生振り返ってみたとき、一番言われた言葉が
「どうしたら上手くなれますか?」

私は今まで上手くなりたい!センター立ちたい!って思った事が全く無い。
常に楽しい!楽しい!自分でいられる世界!
っておもって本当にダンスが大好きで仕方ない人間。
だから毎日何時間も自主練しちゃうし、日常生活の中に溢れる動作もダンスとして見てしまうくらいどっぷり浸かってる。

ダンス上手くなりたい!っていう純粋な気持ちはすごく大事でモチベになると思う。ただこれの欠点はちょっと上達していいポジに着くと大体天狗になったり、落ちると人を蹴落とす人にさせちゃう可能性を秘めているって部分。
昔は一緒に楽しめてたのに、そうゆう人に何度も妬まれていじめられてきた。
でも、ダンスが楽しくてどんな仕打ちにあっても辞めたいとか微塵も思わなかった。てか辞めれない。私にとってダンスは呼吸するのと同じ感覚なんだと思う。

心からダンスが大好きでダンスは人生の一部で、
ダンスを通して勇気、全力、ご縁、感謝を学べた。
そして気づいたらセンター頂くのは当たり前の様になり、周りに人が集まってきてくれる様になって私のダンスが大好きって言ってくれる人が増えた。
本当に嬉しいし、ありがたい恵まれてるなってつくづく思う。
ダンスを仕事にはしたく無い。本当に楽しみたいからこそ利益を発生させた時点でダンスを嫌いになっちゃうと思うから。

きっと私が誰かを蹴ってでも1番がいいって思ってたら今はダンス関連の職についてると思う。
でも、これが私のダンスに対しての真心。
上手くなりたいじゃなくて、ひらすら全力で楽しむ。
ダンスに限らず、何かを本気で楽しんでる人ってどんなに努力しても敵わないものを持ってる。
それはきっとその姿がその人の1番輝いてる姿だからじゃ無いかなーって思ってる✨

死ぬまで一生踊り尽くしたい!ダンスが私の1番の味方であり愛なんだよー❤️#ダンス #長文です
#愛 #人生って
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2025-02-14あなたは愛を使って幸せになれる5️⃣

何事もなく過ぎているようでも実は周りの人はみんなそれを指摘できず我慢しているだけでストレスがひどく、いつ辞めようなんて思ってる
朝の挨拶が全くできない人もいるし何かやってくれたことに対して「ありがとうございます」の感謝の言葉が言えない人もいる

そんな小さなことがいつしか不満を作りギスギスした人間関係の元になる
自分も周りも誰も幸せじゃない

この世界、家庭でも社会でも友人関係でも、そんなことがあちこちで起きてる
誰かが我慢してなければ争いの元になるような行為が
なぜかな?

地球にはたーーくさんの人々が一緒に暮らしてる
そのほんの一握りの人が、あなたの周りに一緒にいる
その人たちの自由や個性の表れや喜びや幸せを思い描いて、あなたができることをしてあげると、あなたの周りには幸せな空間があちこちに生まれてくる

幸せはどこからかやってくるんじゃない
あなたが自分の愛を込めてあなたの周りを気遣い、他の人の自由な人生を尊重し、自分の考えだけを押し付けないようにして生きることで、あなたも、あなたの周りも争いの思いから解放されて、共に優しい気持ちの中で生きることができる

それができるのは、あなたが自分だけが良ければいい、自分の考えだけが正しいという思いを振り返り『そうだ、みんなだって私と同じように考えや生き方を持っているんだ』と思うことから始まる

心の争いは、互いに自分のことだけを主張したり優先したり、時には正しさを押し通したりすることからも生み出される
目の前にいる人との縁の大切さを忘れ、出会ったみんなで幸せになるという大切なことを忘れてしまう

争いは、争いの元となる思いを一人一人が行いとして表していることで起きてくる
「自分だけが正しい」と、あなた以外の人も同じようにう思っていても間違いではないし、おかしいことでもない
あなたがそれをどこまで受け入れて尊重できるのか、相手も自分と同じように考えられるのかにかかってくる
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ヤモオ

ヤモオ

身構えていたせいか、あまり心に来てないと言ったら嘘になりますが・・・なんだろうな・・・20数年ぶりの一人で迎える#クリスマス では有りますが、#愛別離苦 の気持ちは勿論あって、
でも、惨めな気持ちにはなってなくて、
行き交うカップル、夫婦、家族等々を見て涙ぐむ事もなく・・・
今、そのその場に一緒に居られているその時こそ『#奇跡』なのだから確りとその時間を楽しんで欲しいなと、心に刻み込んで欲しいなとも不思議と思う・・・思ってしまう・・・
今までこんな感情になった事がない。
自分で思って自分で戸惑ってしまう・・・
きっと妻の死によって自分の視点が変わったんだなと改めて思う

人生における#愛#最終地点 の一つから愛別離苦を伴って、このクリスマスというイベントを見ている感覚があります・・・
楽しい時も、それどころじゃない時も知っているからこそ、この感情になって、この視点で見えているかもしれない。

今までにない不思議な感情が、色んな物が混ざりあってるけど、どれにも片寄ってないというか、例えるなら澄んだ沼地みたいな
ちょっと魚が動けば泥が舞って濁ってまた澄んでいく心になってるといゆうか・・・
波紋は出来ても波立たないというか・・・
どんな風に表現していいのかわからないです。

もっとこぅ妻との思い出にそこら辺の夫婦を重ねて苦しくなったり、
その行く末を勝手に思ってしまって涙してしまったり、
何故に妻が死ななければならないのかとの取り乱しそうになって、どうしようもならなくなって感情ぐちゃぐちゃになって強い酒飲んで寝るいつものようになるのかなと思ってたんだけど・・・

変に平穏・・・でも、様々な感情は有る・・・

これが俗に言う『涙が枯れたって』奴なのかな・・・
それとも・・・本格的に壊れ始めたのか・・・

わからないね・・・







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