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鳩時計🕊
親や親戚とは色々と確執はありましたが、実家に帰って良かったです。
とても良い葬儀でした。
母親の姉がすごく意地悪で嫌いでしたが、丸くなってました。
食育がすごい、TV規制があるなど…で子どもの世界に馴染みづらかったし、軽度教育虐待を母からされてましたが、それが愛知県西三河地方でなく、名古屋や東京などの都会だと人口が多いためにサブカルの人や高学歴だけどアート系の人と親和性があったから良かったです(もう今は絵は描いてませんが)。若い頃に読者モデルや素人のショーモデルをやれたのも食育のお陰ですし。父がスタイルがいい一族だったからです。
母も孫に甘いし、甥がムードメーカーになってくれて、それも良かったです。
また、私のこの世の中で一番大切な人物は妹なのですが、これがまたワガママな性格で、要領が良く、特定の人にしか本音を見せないので、この人が女王様をやった方が売れてたのでは?と思うのですが、体調不良の妹に2日付き添いをし、一応は役に立てたと思ってます。
また、北海道にいる優秀な弟は公務員を辞めて、旭川でゲストハウスをしており、充実した暮らしをしているようでホッとしました。
父の知らなかったエピソードを聞けました。
父は5人兄弟の末っ子だったために従兄弟や従姉妹が兄弟みたいな側面があったそうです。父の兄の娘(従姉妹のお姉さん)が勉強を教えていたらしいのですが、大学では地学が専攻の小学校の理科教師だったのに、三国志など中国史、日本の歴史や政治が好きで、そういう話が多く社会の先生と勘違いされてたそうです…。
それを私も吹き込まれてたのか…と。
母親も地元の火力発電所建設反対運動してた勢なので。チラッと地元のヒントを書くと、前市長が統一教会とドップリだし、あの地域は工場誘致で金を持ってる自治体でした(田舎あるある)。
そういう話も親から吹き込まれていたし、近所にその昔の市長さんが住んでいて豪邸でした。
因みに今の愛知県知事の出身地でもあり、ご近所でしたが、面識ないです。
生まれ育った自治体が大っ嫌いでしたし、今も好きかというと分かりませんし、地元の友達などいません。
一生帰る気ないです。
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奈落のmay(めい)
北海道のまあまあの都市に生まれる
(7大都市には入ってる)
父が好きな女優が演じてた「役」の名前を名付けられる。ちな姉はその女優の名前。
幼少時は喘息もち。ちょいちょい入院しつつギリ健康に育つ。ブドウ糖点滴でぷくぷくに太り、順調にルックスにコンプレックスもりもりの「モテないしせめてお勉強がんばる本好き文系ヲタ」になる。中1の頃、父母がパチンコにハマり閉店まで帰らないためご飯を作ってくれなくなる。ご飯はテーブルに置かれた「千円札」。
中3の時、父と不仲になっていた母親が父親のタンス貯金を全部持って失踪。この頃姉はもう独立していたため、以後、自分と父のお弁当、食事、家事の担当になる。
高1の時に母親を発見。母は別の男性と暮らしていたので父との再構築はなかった。高2の終わりに北海道を出て東京の美大に行かせて欲しいと父親に交渉。散々な家庭環境なので断れない父。弱みにつけ込んでごめんね。
現役では志望学部に受からず、札幌で1浪のうえ、翌年美大に受かり上京。卒業後、仕事はずーっとグラフィックデザイン。何があっても仕事だけは続けていくこととなる。
ろくでもないメンズに引っかかったり自分探しと称していろんなメンズと関係したりして20代後半まで放浪。28でオットと知り合い大人しくなる。
以後平穏な日々。長く恋人関係を楽しんで、37で結婚。オットとの暮らしを安定させるために勤めを辞めて起業する。そのすぐあと、知り合ってちょうど20年目の春にオットが急逝。
そこからの1年半、相続や親族の揉め事を片付けつつ、今後の生き方、働き方などを模索。
→いまここ


きずあり
もし兄弟がいれば喧嘩するというのは誰でも知っている
Everyone knows that if you've got a brother, you're going to fight.
Liam Gallagher、投稿者訳
今回は #vol588 に出てきた弟の話
次男の結婚式が無事に済み、家族関連の考え事が一つクリアしたと思っていたら、私の弟からLINEがあり、この数年、彼が懸念したきたあることのその後の様子を知った
三年前に海外に赴任した時小学生だった彼の一人娘は現在中学生
日本に居たころに既に心の病とみられる状態で不登校気味になり、環境の変化が改善につながればと、案じて渡航した
姪については勿論だが、彼の人柄的に奥さんとの家族三人のことを実は心配している
遠方で下宿していた私の大学時代の帰郷時に、高校受験を終えた弟の、それまでの経緯を父に教わった
知らなかったが私が中学時代にバレー部だったことの影響で、運動が得意ではない彼もバレー部に入っていた
だが3年時の最後の総体で、顧問が野球部、サッカー部の補欠部員を連れてきて、正規の部員の彼を控えに廻して出場させたのだそうだ
さすがに父は、学校教育の一環にすぎないのに何が目的なのかと、この顧問に抗議にいったそうだ
この出来事が彼のその後の人生を変えた
スポーツ音痴の反動でがむしゃらに勉強し、当時の県内私立高でトップと言われた高校に合格した
その3年後、きずあり一族としては初めて東京六大学の一つ、一般に私立大で一番と目される大学に、塾や予備校の類に通わず(親父にはここ大事!)現役で合格し、成績は良かったがお金がなくて大学へ行けなかった父を歓喜させた
残念ながら不器用な男で、就職時には文字通り50社で落とされて、51社目でやっと採用された
象徴的な出来事だけ書いたが、要はそれなりの逆境も、努力で跳ね返すこともしてきた、自分に厳しい男なのだ
その彼が、学校に行きたがらない娘の甘え、医師などの専門家の言葉を正として擁護する母親を「親の努力不足」と言い切ってしまうことが心配だった
続く(これもか?)
#LiamGallagher


シバクル
週末は寒くなるとのこと、まだまだ春は遠いかな
さて、70年の人生総括ですが、
テーマ別に話す前に、私の家族と転居の歴史を書きます、生い立ちと育った環境はベースになるので確認ください
父の出身は福島県、8人兄弟の6番目で戦後東京で警察官になり定年まで勤め、91歳で逝去
母は、東京都中央区で文具店の長女として生まれたが戦争で男兄弟は戦死、戦後の混乱ですべてを失う中で父と結婚、専業主婦としての人生を生きて昨年97歳で逝去
私は3人兄弟の真ん中、上は姉、下は弟、姉は警察官と結婚、弟は開業医になっています
家が貧しいにもかかわらず社会人になるまでは勝手気ままに親の脛をかじって生活しました、学業では音楽と体育が苦手で5段階評価の2.算数と理科が得意で5でした、大学では物理化学専攻でしたが就職活動では、これからはコンピュータと考えて会社を選択し定年まで勤めました、これが正解で会社は成長し今では東証プライム市場に上場しています、バブルも崩壊も経験しました
その間の転居の回数は10回と多く、転勤によって札幌、新潟、宇都宮、東京、横浜、大阪、広島、福岡に住んでいました
結婚は25歳の時、職場結婚でした、まだまだ女性を見る目が養われる前で、流れに任せた結果でした、少し後悔しています😢
子供は2人、一男一女、長男は離婚、長女は未婚で孫はいません😢
現在私は、東京で妻とワンコと一緒に生活しています、ただし価値観が違うため妻とは良いかたちの家庭内別居です、妻とは一生連れ添います
長々とプライベートな話をお読みいただきありがとうございました
次回は、私の性と女性関係のお話です😊
1月8日、楽しい一日にお過ごしください❣️

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