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ひつじ
昭和の名曲やってます。
うちの父は音楽好きでよく聞いてた。
レコードたくさんあった。
神田川とか私小学生で歌っていた。
そんな父も母もいなくなってしまった。
楽しかった幸せだった思い出。
子供時代が幸せでありがとうと思います。
まだ2人とも生きていてもおかしくない年齢なのに、さみしいな。
コメント
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とうふ
その当時私はまだ小学生だった。
お葬式の日、親戚とかみんなは口々に「若すぎる、早すぎる。」って言っていた。
でも当時小学生の私には年齢の若さは理解出来なくて、
ただただ大好きな祖母が居なくなってしまったことが本当に辛く悲しかった。
無情にも当たり前のように年月は流れていき、
先月誕生日を迎え 私の母は「50歳」になった。
「お母さんももう50になっちゃったよ〜。」
あと5年で祖母と同じ歳になる母。
その瞬間に亡くなった人はもう歳をとることは無く、どんどん追い越されていくのだと、
23歳にしてようやく、"死"とはこういうことなんだと思い知らされた。
私は本当の意味で、13年越しの今、祖母の死を理解できたのかもしれない。
今ある幸せを 両親のことを、23年間両親が大切に育ててくれた自分のことも大切に、
地に足つけてしっかり生きていこうと思った。
一青窈さんの「ハナミズキ」、祖母が大好きだった歌。
ハナミズキの花言葉は
【永遠の愛】【私の思いを受けてください】
祖母は13年かけて私に愛を気付かせてくれたのかも知れない。

💮たか💮

回答数 9533>>
良かったと思うな😊

sy16
それに母に連れられて電車で街にある大きな手芸屋さんに行くのも好きでした。ものづくりの作業に躓くたびに母に聞けたらいいのにな。母だったら一発で解決してもっといい物がつくれそうなのになって考える。今は毒母になってしまって私のほうこそ毒母から距離を置いてる。だけど受け入れたりわかってもらいたい、変わってもらいたいって思っていないのにやっぱり虚しいという感情が消えない。私が大人になっていく過程の途中で父はこの世からいなくなって母も私も変わってしまった。
どこで間違えちゃったんだろうね…
#ひとりごとのようなもの

うさ
たった今、夢見て起きた💭
実家の食卓でご飯食べてたら亡くなった父が普通に帰ってきたの
亡くなった頃の若いままだったな[にこやか]
母も私もたぶん現在の歳💧
横で母とその日の会社での話して、私にお年玉くれた🤭
「ありがとう!」ってお礼言って、白い封筒✉️でくれたから「汚れちゃうから手洗ってくる!」って洗面所に手洗いに行って戻った時にはもういなかった…
涙止まらなかった でも会えて嬉しかった
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たかくん
ほんとにいい曲だよね[ハート]