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ゆう(低浮上中)
生きていてほしいと思う人ほど、あっけなく。
だからこそ、生きていられることは稀有で幸せなことだと私は思います。
「命に嫌われている」という歌の歌詞の中で、
「結局いつかは死んでいく
君だって僕だって枯葉のように朽ちていく」
「正しいものは正しくいなさい」
「死にたくないなら生きていなさい」
悲しくなるならそれでもいいならずっと一人で笑えよ
という部分があります。
人に「こうあるべき」「こうしなさい」と説教のように言われることは、人と関わって生きている以上避けられないことです。
それが嫌で一人でいたいと言うのなら、ずっと一人で笑えばいいと思います。
一人で何にも縛られず気楽に生きていくことを選ぶか、
人と関わって、嫌な思いもする方を選ぶか、
どちらを選ぶかは自分で決めることです。
人と関わって生きながら、耳障りがいい言葉だけ聞き、自分にとって都合のいいことだけさられたい、ということがまかり通るほど、社会というものは優しくはできていません。
社会の秩序を保つためには、この主張より、万人受けする事象を優先するのは、至極当然のことです。
社会の中で社会の一員として生きるのなら、社会という巨大な組織を意識し、秩序を保ちうる思考と行動をしなければならないのは、社会人として当然の義務であり、それができる人を社会人、と呼ぶのだと思います。
それができないと、したくないと言うのなら、社会人として得られる権利や恩恵は受けられないもの、と心得ましょう。
権利には、それ相応の義務というものが発生するものです。
義務を果たせるのに果たさない人は、一人で生きていくしかないということですね。
人はどんなに裕福でも、地位や名誉も関係なく、いずれは死んでいくものです。
自分が死ぬ時、「いい人生だった」と思えるよう、後悔のない、自分が納得のできる生き方をしていきたいものです。
#社会人 #人生 #責任 #義務 #命に嫌われている
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