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へばらぎ
綺麗で壮大な大きな物語
白く大きい光が二つ。
そこは、宇宙の果ての果て。
最終地であり始発点でもある「そこ」には、全てが存在し、何も存在しない。
宇宙のボイドなんて小さいものではない。
一つの光は「〇」
白く、蒼く澄んでおり大きい光。全てを包み込む愛そのもの
もう一つの光は「□」
小さいがその意識の深さは計り知れない。言葉では言い表せないほど美しく赤く光っていた。
そこには全てが存在している。
何かを欲する前に、全てが存在している。
欲が枯れる前にすでに全て潤されている。
もし今の私たちがそこに行ったとしよう。始めは欲しいものを得、思う存分に堪能するだろう。
車が欲しい。家が欲しい。お金が欲しい。美味しい食べ物が欲しい。地球でいう理想の暮らしがいとも簡単に手に入る。
地球でいう「欲」が発生する前に全て満たされているのだ。
そうなるとどうなるのか。
空腹に例えて説明する。
美味しい食べ物が欲しい。
そう思う前に目の前に沢山の好きな食べ物が用意されるだろう。
しかし、その欲が満たされている状態だと目の前の料理は自分が欲していないものと化してしまう。自分が欲していないものは存在がなくなる。
ここまでくればお分かりいただけるだろうか。
そう。目の前にはなにも無いのだ。
「そこ」には何もなく。
全てが存在してるのだ。肉体は消え、意思のみが残る。「愛」と「意思」だけだ。
〇が考える。退屈だ。恋しい。と
その瞬間、わずか0.001フェムトほどの時間に起こった出来事を3次元の言葉に置き換えながらここに記す。
喜怒哀楽を体験できない「そこ」では、経験を積むことができない。
そして、この宇宙で唯一、喜怒哀楽、幸福、を経験できる次元がある。そう。3次元である。この時〇は3次元に行くことを決めた。
到着地は「地球」という星にしよう。
そこで、たくさんの経験を体験することができる生物は、と考える。〇は人間を選んだ。
続く
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